川を見た

定刻通りに起床。瞬間、今日はダメだという気持ちでいっぱいになったため、社会的活動の一切を停止して寝た。パンを齧って眠る。

昼過ぎに起床。大雨の中、所用のため某所へ。すぐ帰宅。足元がふらつく。再び横になる。

夕方、起床。雨は上がっているようだった。体が少し動くような気がした。下見に行こうと思った。

田舎には高い建造物がない。すると必然的に数カ所程度に絞られてくる。

散歩がてら近所の橋の高さを目測しにいくことにした。途中から申し訳程度に転落防止の柵が設けられているが、田舎育ちの私にはこの程度の高さを乗り越えることは造作もない(と、思う。そこまで体が衰えている実感がない)。しかし、下を覗き込みにくい。つまり、どれくらいの高さか想像するのが難しい。まあまあな高さだとは思う。歩いている途中で、私は今日体調不良で仕事を休んだ人間であることを思い出したが、まあ今更、誰に見られたところで。

次に、橋の下の道を通ることにした。下から見上げると十分な高さかどうか不安になってくる。そんなに大きくないように見える。別の候補地にしたほうがいいかもしれない。そこは下見なんて子供の頃に何回も済ませてあるような馴染みの場所である。

道中、朝から続くどうしようもない身体の不調と精神の不調をダイレクトに感じた。下見なんていいから即座に落ちてしまってもよかったかもしれない。どうにも体がうまく動かない。歩くペースは普段の二分の一ほどであった。なぜ外に出てしまったのか。でも無事に帰りたいかというとそんなこともない。途方に暮れながら帰宅。着替えて横になる。

食事や入浴にどうしようもない矛盾を感じる。明日のふつうの私のためにすべきことを、今日ふつうじゃない私が、明日からもふつうじゃないであろう私が、何故栄養を摂ったり身体を清潔にしなければならないのだろう。

薬を飲む。頭や体がボーッとするばかりで、突き上げるような苦しみはおさまらない。毛布を被っていろいろと調べ物をしているとき、普段なら唾でも吐きかけてやりたくなるような文字列を見て、目に涙を浮かべてしまった。慌てて引っ込める。

こんなもの、変にガス抜きをさせるだけで、私の苦しみを根本的に取り除いてはくれない。

髪を洗いながら、何も飛び降りなくたっていいと思った。田舎にはたまに空き地に廃車が放置されているから、そこで、とか。いろいろ持ち込んだり作業をするのに気づかれないようにするのは大変だろうとか、廃車の所有者は誰なのかとか、そもそも私有地なのでは、とか、なんとかかんとか。もうちょっとやり方があるかもしれない。シャワーを浴びているときはアイデアが浮かびやすい。

薬を飲む。やはりふらつくばかりで、頭の働きも少しは弱る感じがするが、考えはぽつぽつと浮かんで止まらない。

ふと「薬を飲んでいるのに良くならない」という現象が他にもあったことを思い出す。解熱剤を飲んでも熱が下がらない。そういうときは抗生物質が出てきて、熱は下がり始める。飲む薬や対処法が間違っているのだろうか、とか、なんとかかんとか。何かが間違っているとしたらあのとき死ななかったことや、食事をしたことや、さっき風呂に入ったことなどだろう。

明日の私はふつうに起きて、ふつうに出勤してふつうに仕事ができる? できるのだろうか。わからない。したほうがいいのだろうか。

今朝のふつうじゃない私は、目が覚めた瞬間に全てを拒否した。私は明日目が覚めたらふつうになる? この胸のあたりのむかつき、つついたら破裂しそうな精神、全部ふつうに戻る? 全部できる? 正常な判断ができる?

昨夜の私は今まで生きてきて一番「明日が来るのが嫌だ」と思っていた。明日が来ないために今日できたことはいくつあったのだろう。どのタイミングでどうすればよかったのだろう。

この大雨だ、川の様子を見に行こうと思えばできた。というか見た。見たけど、見ただけだった。川がすごいなって思った。そりゃここに入ったらひとたまりもないだろうけど、田舎だから、そんな大きな川でもない。雨が止んでしまえば、みんな普通に犬の散歩をしているし、学校帰りの中高生も歩いている。

私は川を見ただけだった。

私を苦しめているのは思い切りの悪い私なのだった。