目に見えないもののこと

人って、目に見えないものの総称として"心"という言葉を使うのだろうか。いや、主語がデカすぎた。人っていうか私である。私は目に見えないものを心と呼んでいる気がする。そして、目に見えないものを信じないから、私は心を信じないのかな。っていうところまで話が飛ぶわけだ。

不思議なんだよね。今ならおそらく、誰かがサンタのコスプレをして出てきたらサンタの存在を信じる。おとぎ話に出てくるようなサンタの概念はよくわからなくても、サンタが服を着て出てきたら(何それ)、サンタの概念は信じなくてもいいけど目の前のサンタの服を着た人がサンタであることを信じてもいい、みたいな。矛盾の塊である。

例えば、何かの作品について、作者が「これは私の心の再現です」と言ったとする。私はその作品を見て、作者にはこんな心があったと思うことができる。

すごく不便だ。おそらく、自分の心についても、目に見えるようにしてどこかに置いておかないと認識できない。だから体調崩したり異常行動が出たりしないと心の不調が何にもわかんないのね。

もう一つ不思議なことがある。"心"はわからないけれど、"考え"があることはわかる。その内容まではわからないけれど、一人一人に考えがある。魂胆とか企みとか……。それは大抵顕在化するので信じてしまうのだろうか。顕在化しないものを認識してないだけか。あれ?そもそも顕在化しないものは認識できなくない?うん?そもそも行動と考えは因果とは限らなくない?

何もかも釈然としない。どうしてこんな変なことになってるんだろう。言葉遊びで勝手に混乱してるだけ?ほんとに?