境目

朝から夕まで静かな気持ちで過ごした。川に石を投げて、水の跳ね方や波紋や音を流して、また次の石を投げる、というのにかなり似たことをしていた。苦痛というほどでも無というほどでもないことを、淡々と淡々とやって、気づいたら夕焼けを見ながら外を歩いていた。音楽プレーヤーからは、こんなシチュエーションで聞いたら容易に人生が終わりそうな曲ばかり流れてきた。ここでいきなり車が突っ込んできて私は死ぬんじゃないかと思った。案の定何も起こらずそのまま帰って、部屋着になって、ずっとそのままだ。

わたしは、自分のことを本当にダメな人間だと思っているが、周りの人はきっとわたし以上にわたしのことをダメな人間だと思っている(これがわたしの思い込みだとしたら尚更ダメだと思う)。厳格に真摯に生きている人はわたしが軽薄で堕落した人間だということにすぐ気づく。とても面白い。ちょっとでも失敗すると「成敗してくれる!」みたいな気配を感じる。そういうものなんだろう。わたしだって他人の生き方を茶化す気はないから、できるだけ結界に触れない距離を保ち続ける。

謝罪されることの気持ち良さを全く知らないまま大人になってしまった。このあたりにいろいろな原因がある気がする。あるいはこれ自体がなにかの結果なのか。人は人を不快にさせたことで謝罪する生き物だが、わたしを不快にしてきた人が謝ってくれたケースがわりと少ない。もっとしっかりといろんなことを不快だと言えばよかったんだろうか。そのこと自体が誰かを不快にすると知りながら。そして謝ってもらうことがどれほど気持ち良いことなのかしっかりと学習して、気持ち良く生きてくればよかったんだろうか。なにをやっていても、わたしのほうが罪が重いんじゃないかとか、わたしが一人で騒いでいるだけなんじゃないかとか、そういうことが先に立ってしまって全部うやむやにしてしまう。なんにせよ、謝ってもらうことが本当に気持ち良いことなのかは死んでもわからないのだと思うと、こんなこと考えるのは無駄のような気がする。