私は自由だ

内に篭っているのか外に開いているのか、その境目がよくわからなくなる一日だった。どちらかというと開いていたほうかな。いや、明らかに開いていたか。

 

頭の中で、良い記憶を捏造できたらそれでいい。ないものもあると言っていい。それが他人に害を与えなければいい。自分に害が及ばなければ更にいい。

存在する・しない、こんなことは本当はどちらでもよくて、ただ「存在した」と自分が思えばいいだけ。サンタクロースと同じことだ。

今日は他人の多種多様な「存在した」を、たくさん摂取できたのでとても面白かった。

他人の「存在した」を聞くと、私の中からも、ありとあらゆる「存在した」記憶が出てきて、つらつらと話せた。

己の中だけにある楽しい記憶や良かったことなんて、他人の判断を受けなくていいのだ。自分の中にいる他人ですら気にしなくていいのだ。

確かにいろんな視点から見たら違うかもしれない、そんなことどうでもいいのだ。いろんな視点の中の一つからは存在したと言えるのだ。私の中にある考えや記憶や解釈について、そんなものはありえない、そんなものは存在しない、そんなものは許されない、それが良い・悪い、馬鹿馬鹿しい、明らかに間違っている、だなんて言うことは本当にできる?

私の感じていることなんて、真には誰にもわからないのに、それを断じようとする人の野暮な正義に私が巻き込まれなきゃならないいわれはある? ないと思う。本当に好きなことは、絶対あなたのような人には言わない。

だから、私は自由だ。