今日も私だったよ

すごい速度で終わっていく祭りを見ていた。人生を1セットやったような気持ちになった。あれは人生の欲張りセット(おまけで人生1X回付き!)だった。もう全部もらったので、一旦ここで打ち切っていいです、ありがとうございました……みたいな。

あまりにも人生だったので、自分がいま・ここで何をしているのか全部よくわからなくなった。人間が一生のうちに摂取できるホニャララ(任意の概念)量を超えてしまっているのではないかと思った。

軽い走馬灯が見えたので死にかけたのかもしれない。実際死んだ可能性もある。今日は後頭部を割と強めにぶつけたし、そのあと意識があったのか無かったのかも覚えていないし、見たもの聞いたもの全部幻でないという確証はないし、あんな量の……あんな……すばらしい……ものを……私は……いいのか?いいのか本当に?いいのか?

やはりあの時、後頭部を強めにぶつけて、私は帰らなかったのでは?いや、それよりも、もっとずっと前のどこかのタイミングで、私は急病か事故かで意識を無くして、本当は今どこかの病院のベッドの上にいるのでは?あるいは骨になって墓の中にいるのでは?現実との整合性が無い現実って本当にあるのか?

莫大な何かが突如もたらされる時、大概は災害の名前になる。地震とか雪崩とか洪水とか。何かが過剰な時、生命は死にがちだ。そういうことなんだ。よくわかんないけど。全然関係無いけど、私は今、自殺を休んでいるんだと思ったよ。言葉だけ先に浮かんできたから、自分でもどういうことだろうと思ったけど、「死のうとせずに生きてる」だけのことをそう呼ぶのかな、と思ったよ。そういうもんなんだ。よくわかんないけど。たぶん同じこと思ってる人はたくさんいるだろうな。休んでいいもんなのかは自分でもわからない。