ここ数年で、偶像は偶像のままでよいという考えが強まってきている。例えば、「あの人、裏ではあんなことしてるらしいよ」「昔こんなことがあったよ」みたいな情報を一切聞きたくない。知らないままでいい。裏で何やってたとか昔何が起きたとか、知りたくない。今見えている部分をただ信じて好きだと言ってるだけでいいじゃないか。

こんな風に考えるなんて私も丸くなったなあ、なんて思ったけれども逆だ。別の方向に尖っているのだ。私の「好き」の世界をわざわざぶち壊さないでくれ、私は私の好きなものだけ信じる、っていう尖り方。

それこそ思春期ぐらいのときは「裏ではあんなことしてる、昔こんなことしてた」っていうだけでドン引きして決別するようなこともあったわけだが、あの時の方が今よりよほど潔癖でいたいけだった。

この数年で、丸くなったように見せかけて、とーーーーっても頑丈な柵を作ってしまった。もちろん柵の先端は尖っていて、乗り越えようとした人が刺さって死ぬ仕様だし、なんなら柵の外側の半径100mくらいにセンサーがついていて、侵入者を感知する仕組みになっている。ずいぶん器用になったものだ。全部嫌になった。