ケチャップの「ん」

自宅でオムライスを作って食べるにあたって、ケチャップで絵や文字を書くことを一度も欠かしたことがない。ケチャップのボトルを握った瞬間、何かを書かねばならないという謎の使命感が芽生える。

私はひらがなの「ん」を書くのが本当に苦手なのだが、ある日のオムライスの表面に人生で最高の「ん」が登場してしまった。文句なしに最高峰の「ん」だったので途方に暮れた。食べるべきか食べざるべきか。

食べ物だから、食べずに放っておいてもいずれ必ず腐ってぼろぼろになってしまう。だからどう考えても食べるべきなのだが、目の前には赤いインクで世界一綺麗(当社比)な「ん」が書かれてある。一分くらい正座でオムライスを見つめてから、とりあえず写真を撮ってはみたものの、そういう問題じゃないんだよ、写真に撮ればいいとかそういう問題じゃないんだ、と頭の中で私が叫んでいた。人生で一番上手く書けた字をなぜ崩して食べなければならないのか。

約五秒後、あまりにも馬鹿馬鹿しいことで悩んでいるような気がしたから、右手に持ったスプーンで一思いに「ん」を解体した。史上類を見ない「ん」はただのケチャップ味の何かになってしまった。

あれから数年経ったけれども、シャープペン、ボールペン、マジックペン、えんぴつ、筆ペン、何を使ってもあれより素晴らしい「ん」が書けたことはない。あれは奇跡だったのだ。冷凍しておけばよかった。ケチャップで「ん」をもう一度書こうとは思えない。あれより美しい「ん」はもうお目にかかれないだろう。少なくとも私の手ではもう作り出せない。再挑戦してがっかりするくらいならやらないほうがよい。どうあがいても蛇足。

そういうわけで、今日のオムライスに漢字3文字(最近ハマっているものの名前)を書くことにした。画数が多すぎて挫折した。しょっぱい食べ物が得意じゃないので(口が痛くなるから)、1文字目を書いている途中で心は折れていた。いかに「ん」がオムライスに書く文字として適切だったのかを思い知った。