鉄が熱くなくても打つ

自作の本の表紙がなかなか決まらなくてウンウン唸っていたら眠気が襲ってきて、昼寝することに決めた。自室に入ってベッドに横になり、ふと周りを見た瞬間、降ってきた……。

表紙が降ってきた。

「まーたそんなこと言って」と自分でも思うんだけれど、降ってきちゃったのでどうしようもない。降ってきたとしか言いようがない*1。数パターン用意していたけれど全部ボツでいいやと思った。

すぐメモして昼寝して、起きて、表紙作りにとりかかった。2パターン作った*2。それぞれコンビニで刷って比較。選定して決定。ついでに本文のpdfも刷って、チェック入れて直した。なぜかいくつかの回を削除したくなって、新しく入れてページ数を調整した*3。あとはもうちょっと寝かせて入稿するだけかな。これで思ってたのと全然違うのが刷り上がったら泣くしかない。そのときは泣こう。だんだんフォントの太さ等が心配になってきたし、今のうちに調整しておこうかな。入稿の日は決めたのでもうやるしかない。

 

鉄は熱いうちに打てって言うけど、これは本当にその通りだと思う。実を言うとすでに私の鉄の一部が冷めかけている。こんなことして何になるっていう気持ちが芽生え始めた。冷や水を浴びせる役割の人が頭の中にいるとこういうことになってしまう。もうわかってる、これはいつものやつだ。あんまり気にしないで最後まで作業を進めることにする。

だって、そんなこと言ったら、生きててなんになるって感じだし、生きててなんになるのかわからないんだったら、無駄にお金を使ったっていいだろう。どうせなんにもならないんだから何やったっていい。本作ったっていい。そうでしょ、頭の中の冷や水浴びせる役割の人!

私の場合、冷めかけた鉄を無理やり打つのに必要なのは締め切りと開き直りなのかもしれない。冷めてようが熱かろうが、打ってるうちになんとなくそれっぽくなる鉄もあるんじゃないのかな(テキトー)。熱いのも冷めてるのも錯覚かもしれないし。ここまできたら形になるまで打つ。

 

普通に作業日誌になっちゃったな。日記だから仕方ないけど、こういうの書くと、ちゃんと出来上がらなかったときに全部燃やして捨てて消して死にたくなるから、控えめにしたほうがいいよって頭の中の人が言ってる。この人は何役だろう。頭の中の人、ここ一、二年くらいでようやくこういうこと言ってくれるようになった。

 

じゃあ最後に全然別のこと書こう。

主治医に「疲れないようにしたほうがいい、疲れるとムードが悪くなる(訳:気分のひどい落ち込みがきて生命が危うくなる)から」って言われたんですが、それができたら苦労しないっす先生!でも私もそう思うので疲れないようにいろんな調整頑張ります先生!ていうかこれ、完全に行動の指針になる言葉だし、やっぱありがとうございます先生!!疲れないようにします先生!とりあえずsyrup16gの秋ツアーまでは大崩れしないようにします先生!!!おやすみなさい。

*1:ごめん、ちょっと盛った。もともと考えてたけど完全に忘れてた案を思い出しただけ。でも「降ってきた!」って思ったことだけは確か。受け皿はできてたっていう言い方のほうがかっこいいのかしら。どう考えても「思い出した」に近いんだけど。

*2:化石みたいなPhotoshop Elementsでもなんとかなるから楽しい。買っといてよかったな◯年前の私

*3:日記って「回」じゃない気もするんだけど、本になっちゃったら「記事」っていうのも変な気がしてきて。「回」なのかなあ。「章」ってほどでもないし。