面倒のバランス

これ完全に自慢だけど、「今わたしデスロードやってるんだ〜これこれこういうスケジュールで完全に自業自得ガハハ」と話したら「ほどほどにしなね」って言ってくれる友だちが私にはいまーーーす!!!!! すごいっしょ!!

その「ほどほどにしなね」があまりにも不意打ちすぎて、「ほんとにありがてえ……ありがとう……ウゥッ、フワフワァ〜」ってなった。脳の凝りがほぐれたような感覚。私が求めていたのはこの言葉だったのかな。

こういうことかっ、人の温かさってのは〜!って富野節で叫んだ(心の中で)。次会う時にビール持ってこ。

 

こういう友人がいることは、私にしては本当にすごいことだと思う。もう10年くらい面倒見てくれてありがとう。友だちなんだけど面倒見てもらってる感がすごい。というか、私の友人はだいたい私の面倒を見てくれる人たちだ。

すごく綺麗な言い方をすると、私は人に面倒を見てもらう才能があるらしい。普通の言い方に直すと、私は人に面倒をかける人間。正確な言い方に直すと、私の細かい失態をなあなあにして赦してくれる人とじゃないと人間関係が維持できない人間。いや、人の面倒を見るのが好きな人を引き当てるのが得意な人間? ある種の人に、私を「当たりくじ」だと思い込ませることができる人間? 言えば言うほどドツボだな。

人は迷惑をかけ合って生きるものだと思っているけれど、こんなものなのかなあ。自分の行いを振り返ってみてもよくわからない。なんで友だちでいてくれるんだろう、とか考えるのは成人してからやめた。「蓼食う虫も好き好き」はマジックワードだ。

誰に対しても「面倒を見ている」と思ったことが一切ない。面倒を見てもらっている。常にそう。もうちょっと人の上に立ったり他人の責任を負ったりしたほうがいいんだろうか。よくわかんない。

社会人になって、研修のグループのリーダーを任された時は、「このグループが私のせいでダメになったらどうしよう」のプレッシャーで本当に泣いてた。誰か代わってくれってずっと思ってたし、言ってた。

そのうち「このメンバーそれぞれの性能を信じよう。それぞれのポテンシャル高そうだし私が不安に思う要素は一個もない、私がいなくても勝手にどうにかなるだろう。みんなが得意そうなことをそれぞれに割り振ってなんとかしてもらおう」に流れていって、なんとか気を落ち着かせた。実際何とかなったっぽいからよかったものの、本当に人の上に立つのは辛いと思った。あれは慣れの問題なんだろうか。そういえば、あの時もメンバーになっちゃった人たちにたくさん面倒を見てもらった気がする。あー申し訳ない気持ちになってきた。思い出すのやめよう。今でも付き合いのある人、いないし。

友人たちとの関係で、私はちゃんと面倒のバランス取れてるかな。ダメな時は自然に離れていくだろうからあんまり考えなくていいか。私はバランスを取ることが苦手なんだ。

うーん。でもちょっと考えちゃうのは人の常。