不便な身体

日記だぞ、という気持ちで1400字弱書いた文章が、あまりにも醜くて嫌になった。今日吐き出したものは結局2000字くらいあるけれど、どれもこれもひどい。一文一文、ちゃんと首を絞めてへにゃっとさせてから下書きに寝かせた。なんだか悲しい。朝から理由もなく、頭に淡い青空の色が充満していて、私はそれを「悲しい」と名付けて、そのことにもまた悲しくなってしまう。何をしていても今日は悲しい。悲しい。

とにかく疲れて辛くて頭が硬直していて喉がキュッと締まって、ものが食べづらいことこの上ない。

明日になったら治ってるかなー明日になったら辛くなくなるかなー*1

精神の息切れというか、交感神経が活動限界を迎えたような一日だった。電池の残りが自分でわからないデバイスって単に不便で、機能が足りない感じがする。

なんで疲れても倒れないんだろ。疲れ足りない? もっと限界超えていくべき? 今月は後半がドチャクソ忙しいので、前半からフルで突っ走ってみるか。残された愉しみがあるとすれば、自分をモルモットにした人体実験しかないので*2

書いても書いても疲れるから*3、今日はこんなもんで。

*1:こういうのを夢や希望って呼ぶんでしょうか。自分のことを見てみると先延ばしとしか思えない。「来世に期待!」みたいな。いま救われないとなんの意味もないんだが。救われたい救われたいって言っても結局その声が人間に聞き取られなかったら救われないし、奇跡的に聞き取った人が超奇跡的に私を救おうとしてくれても、私は、救いが何か、赦しが何か、何を言われたら救われるのかもわからない。わたしのことば以外わからない。今まで差し伸べられていたかもしれない手(そもそもどういうのを救いの手と呼ぶのかも知らない)のどれかを真剣に握ってたら救われてたんだろうか。死なないでって言われて死ななかった、休んでって言われて休んだ、それで今こんなことになってるのは、私が真剣になれなかったからだろう。真剣にやるってどういうこと? わからない。何一つ真剣にやろうとしなかった、現実と向き合おうとしなかった、他人と向き合おうとしなかった、自分と向き合おうとしなかった。正しくは、向き合おうとしたらボコボコにされたから向き合う気がなくなった。そもそも、向き合うやりかたがわからなかった。今もわからない。きっとこれからどんなに訓練しても、どんな経験をしても、矯正されないだろう。もう疲れた。結局現世で救われないと思う。ほいで、私にとっての救いってなんだろう。現世に見当たらないんだけど目が悪いだけ?それとも本当にないの?もしかしてもう全部通り過ぎちゃった?本当に救いようがないねー。

*2:中学生の頃から同じこと言ってんぞこいつ。詳しくはいつかどこかで話すよ話す気になったら

*3:ふだんは書くだけなら疲れない。指しか疲れない。今日、はてなから「ブログ開設から半年です!」ってメールが来て、へーー全然続くもんだな、毎日どうでもいいこと考えて、何の気なしに書いてるから続いてるだけなんだろうな、って思った。