欲しいものは欲しい、わからんものはわからん

 「あれも足りないこれも足りない」と考えるより、「足りないものなんてない。よく見てごらん、今の私は十分満たされているじゃないか」と考える方がよほど虚しいことがある。今がまさにそれで、やっぱり足りないものは足りないし、欲しいものは欲しい。何かを欲している時、私は一番ギラギラしている(そりゃそうだ)。

 少し前、「私は満ち足りている。今持っているものだけでも十分すぎるほどだ。これ以上何を望むのか」と思うように頑張っていた時期がある。頑張った甲斐があったのかは知らないが、当時は本当にそれで満足した。その結果、生きる気力を無くした。こいつはイカンということで、「あるもの探し」をやめた。

 今でさえ、突き詰めていけばどこかで満足するとは思う。これ以上望むべきものなど無い気がしてくる。しかし、望むべきものがないなら無駄だから人生終わっちゃえって思うんだよね、どうしても。そんな風に思う時点で何にも満ち足りてないんだよな。

 何かを欲しがっている状態を続けるのはとても力が要る。切実であればあるほど気力を消費する。手に入れようと思えば体力を消費する。だから、欲しがっている状態をこんなに長く続けられる私はだいぶ回復してきたんだと思う。少なくとも、欲しがらない状態を拒否できるくらいには。

 休む期間もそろそろ終わりなのかな。無理するタイミングと無理しないタイミングを弁別できるようになったのかな。それとも何か焦ってる? なんにせよ、いつでもどこかに飛んでいけるようにしたい。

 

 今日、私にも、昼休みの教室でたくさんのおかずの匂いに囲まれながら、弁当のわかめごはんを食べていた時期があったのだということを思い出してエモくなってしまった。もちろん自分のおかずもちゃんとあったよ。

 そういえば、女子はなぜかお菓子を配るものだと知ったのもあの頃だったか。この歳になっても、やはり周りの女性は突然お菓子を配り始めるんだけど、あれは何の文化なんだろう。コミュニケーションか。私も飴の一袋でも買ってきて、近くの人にどうぞ〜って渡せばいいんだろうか。なんでだろう。あれは何の表明なんだろう。感じたままに素直に書くとしたら「あなたも私たちの仲間に入れてあげていいわよ。表面的には攻撃しないでいてあげるわよ」の表明なんだけど、これで合ってるのかな。ていうかどこの文化。なんでお菓子。あと、わざわざそれを表明する理由は。なんで。和を以って貴しと為すやつ? わかんない。考えてもわかんない。暑い。寝る。