海老カツサンドを食べた後の人生

スーパーのお惣菜の海老カツを買ってきて、マスタードを塗った食パンにそっと挟む。思いっきりかぶりつく。

私は今そういうことがしたいそうです。他人事のように書くのは何もかもが完全に一瞬の思いつきだからです。そういうことがしたいなら今朝の段階で教えてくれないかな!もう夜だよ、スーパー閉まってるよ……。

でも、どうせ明日の朝には忘れてるんだろ。いいよいいよ。忘れてもいいようにここに書いてるんだから。

 

最近、何をやっても全部無駄な気がしている。明確な目的がないからだと思う。海老カツサンドを作って食べる、みたいな目的があったら、海老カツサンドのために一日頑張れるだろう。なんなら一週間ぐらいは粘れる。

しかし、食べ終えてしまったら? そのあと、特に食べたいものもなくなったとしたら。次の海老カツサンドを構想してみても、「別に食べなくていいや……。もう食べちゃったからいらないや」と思ってしまったら。

私は数年前に海老カツサンドを作って、すでに食べ終えてしまった(もちろん比喩だよ)。これはとってもラッキーなことだと思う。なんせ目的はすでに達成されているのだから。でももう同じことはしなくていいし、やる気がない。一度やったら全部終わり。二度とやらなくていい。終わったことに興味がない。これの繰り返しで人生をやっている。そのせいでやりたいことが先細りしていく。現に、めちゃくちゃ細っている。

次々に新しいことに興味を持って、実行に移すことを死ぬまで続けられるんだろうか。死ぬまで毎日楽しく、なんていうのは絶対に無理だとしても。

楽しいことなんて一ヶ月に一回あれば御の字、三ヶ月に一回あれば御の字、半年に一回あれば御の字、一年に一回あれば、三年に一回あれば、五年に一回、十年に一回……。

徐々に期間を伸ばして、どのラインで耐えられなくなりそうか考えてみる。半年に一回の時点でわりと無理だった。

それなら、例えば最低でも半年に一回だけでも楽しいことを用意できるほどの金銭、健康、時間、その全てを自分で賄えるのか。今は賄えたとして、死ぬまで同じ規模で維持することができるのか。

 

猛烈な徒労感に襲われている。

楽しいことを使い捨てしてきた。得たものって何かあったのかなあ。思い出って何の役に立つんだろう。最近は嫌なことしか思い出せないんだ。全部ゴミを増やすだけの作業だった?

何かを見たり、やったりしたときに現れる、一瞬一瞬の己の感情の、その激しく揺れ動くさまを「嬉しい」「楽しい」と見間違えていただけなのかなあ。その錯覚を勝手に「生きてる感じ」だと思って、何かとても良いもののように思って無条件に有難がっていただけなのかなあ。絶対そうだよなあ。

しかし、こうやって、今ある楽しみも未来にあるかもしれない楽しみも全部否定したら、そりゃあやる気なくす。例えば毎日働いたって、ある程度まとまったお金がもらえたって、虚しい。実際、最近本当に真綿で首を絞められているような気がする。だって本当に、急に息が苦しくなるんだ(病院行けば?)。

 

うわ、なんか……一生モラトリアムやってれば?みたいな気持ちになった。引く。やばい。これぐらいの年齢の発達段階ってどんな感じでしたっけ、教えてエリクソン先生。

ああ、「適切」なものになりてえ。ああ、ものさし、一回でいいからピタッとちゃんとした適切性のものさしに嵌まってみたいんだよ、ピタッと嵌まれたっていう実感を、一回でいいから……。

 

まさか、私の本当の目的って、適切性ものさしにピタッと嵌まることだったんだろうか。そんなこと思ってたんなら人生の比較的初期の段階で教えてくれないかな!もう全部手遅れだよ……。

でも、どうせ明日の朝には忘れてるんだろ。いいよいいよ。忘れてもいいようにここに書いてるんだから。へへっ。無駄なことすんのって最高だよね。