整理整頓

今日は部屋を綺麗にした。

綺麗にする、というのは床の上のゴミや髪の毛や埃を取り除くだけではなくて、ふと部屋のどこかに視線をやったときに「ああ、綺麗だなあ」と思うものを並べておくような作業も含まれている。そのために、溜まった雑誌から好きなページだけ切り取って、残りは縛って捨てたり、好きな物を磨いたり、いろいろやった。

そういう意味で今日は本当に部屋が綺麗になった。しばらくこれでいこう。

 

でも、一般的にはこの部屋は汚いと言われてしまうだろう。自分でもなんとなくわかる。どうも「山」が多い。これでも自分ではどうにかなっているつもりなんだけど。

私は整理整頓が死ぬほど苦手だ。どのような状態が「整理」で「整頓」なのかよくわからない。

あらかじめ完成形が示されているなら、一度散らかして元の状態に戻すことはある程度できる。問題は、完成形が示されていないとき。そういう場合に整理整頓を求められると、「自由にやっていいよ」って言われた時みたいな心もとなさを覚える。

 

人はどういうものを見たら整理されていると思うんだろう。

私が知っている整理整頓のパターンはだいたい「なんでもかんでもとりあえず決まった順番に並べておく」に集約される。

図書館や本屋なんかに行くと、だいたい作者名、タイトル、出版社、出版順の五十音順で並んでいる。それでなんとなくおさまっている。それはわかる。

コンビニに行くと、飲み物は飲み物、お菓子はお菓子、弁当は弁当、おにぎりはおにぎり、雑誌は雑誌……で並んでいる。これもわかる。

問題はその陳列の仕方のほうにある。

私は本当に決まった場所にただ置いてあれば、十分「整理されている」と感じる。たとえスナック菓子の袋がちょっと棚から飛び出していても、売れ残った野菜ジュースが冷蔵棚の奥の方に取り残されていても、ちょっと不便かもしれないけどそれで十分だと思ってしまう。

でもそれだけじゃいけないみたい。どこに何があるかわかる、だけじゃ整理整頓にはならないみたい。よくわかんない。

並べるだけじゃだめみたい。並べるだけじゃなくて、「きれい」に見えるようにしないといけないみたい。だからその「きれい」がよくわかんないって言ってんのに……。

ものがピシって揃ってるのってそんなに綺麗なのかな。そこらへんの感覚のすり合わせを社会と自分の間でやらないまま、ここまで来てしまった。

そりゃあ、キャンベルのスープ缶がズラーッと並んでるのは良い光景だけど、異質だから良いんであって、どこもかしこもあんなにピシッとしてたら怖くて外に出られない(そこまでするなら、いっそのこと世界中が直方体になってくれたらちょっとテンション上がるんだけどな)。

原状復帰なら、ちょっと頑張ればできるけど、アドリブで整理整頓は……うーん。うーん。

とりあえず角をピシッとあわせておいて(折り紙だって綺麗に折れないのにな)、なんかこう……最小限のスペースで、ミチミチッと詰めておけばいい、的な?

あとはなんだろう、大きさとかで揃える? 用途で揃える? 頻度で揃える? それぞれ全然違うけど、どれなの……。世界標準決めてくださいお願いします。

 

というわけで私の部屋は、私にとっては綺麗になったけど、一般的な整理整頓の観点から言えばおそらく汚い。

どこになにがあるかわかったとしても、「山」があるのがよくないみたい。この山、「きれい」にしてもそのうち元の山に戻ると思うんだけど、それでも「きれい」にしなきゃいけないのかなあ……っていうのはあまりにもモノグサすぎるんだな。

まあいいや、私の部屋、私しか見ないから。イエーイ。