頑張っても嬉しくない、褒められても嬉しくない問題

先日、珍しく自分でも「頑張った」と思うことがあったんだけど(そしてそれは数字として成果が得られたもので、複数の他人に褒められたけど)、やっぱり何にも嬉しくなかった。

特段好きなことでもなかったからかもしれない(あらゆる趣味、或いは文章関係のことでは無いということです)。けれど、私はやっぱり自分の「頑張った」に価値を感じないみたいだ。

ここは「頑張ることはいいこと」系の世界なので、微妙に生きづらい!

 

なんでこんなことになってるんだろう。こうなった原因なんて探してもどうにもならんけど、対策は打ちたい。そのためにある程度の理由は必要。よし、考えよう。

  1. 自分自身が「頑張った」に鈍感→自分でも報酬を与え損ね続けてきた→頑張ることに使う体力、気力、時間、お金のことだけ頭に残って、「頑張る」から得るものに鈍くなっていった。
  2. そもそも、放っておいても頑張ってしまう(頑張るがデフォルト)→頑張ることに価値を感じないのは当然。

2っぽいな。ほっとこ。今までこれで生きてくることができたわけだし。

 

しかしこれ、「褒められても嬉しくない」問題に直結してる気がする。ウワーン。

じゃあどうしたら私は嬉しいんだろう。やっぱり今、お金しか欲しくないんだろうな。だって、お金もらったら嬉しいもん。

それなら、お金の使い道は?

  • 生活に必要なもの
  • 趣味で欲しいもの
  • 見たいものに払うお金
  • 行きたい場所に払うお金
  • たまに、数少ない友人と遊ぶための費用

こんな感じか。ここに「褒める」が入ってこないのは、個人的には安心だ。お金払ってでも褒められたくなってしまうと大変だと思う。私、ハマったら無限にお金出しちゃうもん。お金がないといろいろきついよ。

 

ここまでをまとめると、「褒められても嬉しくない、ただ、お金を貰えると嬉しい。お金で買いたいものの中に「褒める」は入っていない。褒められることは私にとっては報酬ではない」という感じかな。自分の内面と照らし合わせて、だいたい合ってると思う。

一方で、妙にひっかかるところもある。

褒められても嬉しくないのに、貶されたり罵倒されたりするとそれなりに嫌な気持ちになるってどういうことなんだろう。矛盾ではないんだろうけど、私の内側のなにかがズレている気がする。「褒める」の逆がちゃんと罰として機能しているのだ。

何を言われても、何も思わないわけじゃない。ならば、褒められても何かを思って然るべきなのでは……。

そういえば、褒められるって居心地悪いな。ばつが悪いというか。

一対一のときはまだマシだけど、多数の人の前で褒められると、やめてくれーっ放っておいてくれーっやめろーっと叫びたい気持ちになる。

うん、確かに、何かを思っているね。どうしてこうなっちゃうの。ここで素直に嬉しくなれたり、報酬っぽい気持ちを感じられたりする人生がよかったな……。

やっぱり、じここうていk

 

やめ! やめやめ! 

私は自己肯定感って言葉が……自己肯定感って言葉が! 嫌いではないけれど、怖いんだ! だってないんだもん! でも必要な感じで語られるんだもん! ないとやばいよあったほうがいいよみたいな感じでさ。怖いわ!

ついでに言うと、大人ならいつも上機嫌でいようぜ、みたいな最近のアレも本当に……もはやディストピア! 耐えられん! ずーっと、とはさすがに言わない(やりたくない)けど、たまには不機嫌でいさせろ!

よし、亡命だ!

私による私のための私だけのディストピア、その名も単なるユートピア、建国っ!!!!!! ドンッ!!!!

寝る。