現実の途中

帰り道、人生のエンディングテーマがSoundCloudから流れてきた。"Fly Girl 女の子を飛ぶ"という曲名だった。偶然にも私は女の子じゃないし飛ぶこともない。でも女の子を飛ぶことはできたのかもしれない。

人生のエンディングテーマは90年代後半のゲームのED映像のようなムードを漂わせていた。浅めのノイズと、ぺにょぺにょした電子音。それを聞きながら私が見ていたのは、ゲームのエンディングなんかじゃなくて現実の途中だった。

私は死ぬまで現実の途中をやり続けていく。当たり前なんだけど。

 

快速電車が止まらない駅を探して、ちゃんと乗り降りしたい。各駅停車の電車に乗って一駅一駅、区切りをつけるように愛でるように諦めるように、見切りをつけるように捨てるように懐かしむように暮らしたいんだ私は。通り過ぎた諸々はとうに忘れてしまった。早く乗り換えなきゃ。

 

人より鈍いから、生きていくためにはすべての速度を、常にギリギリの力を使って上げなきゃいけなかった。そうしないと何もかも間に合わないから。この世は、せめて慌てたフリだけでもしなきゃ本当に殺される場所だから。

結局、どんなに頑張っても慌てたフリしても、人生は間に合わなかった。電車の時間は守れても人生の時間は守れなかった。人生を遅刻して人生における信用を完全に失った。これから何をやっても無駄なの。

だからもう絶対に人生の時間なんて守んないよ。他人との待ち合わせとか電車とかの時間は守るよ。それは、私が間に合わせるって同意した時間であって、つまり約束だから守れるんだよ。しかし人生の時間、何歳になったらどこで何をするかなんて、誰とも約束してない。そもそも、できないでしょ。誰にもできない。そうだよ、守る約束なんて最初からないのに!

あー、いやだいやだ。いやだなもう。慌てるフリが染み付いちゃって本当にいやだ。

 

どこまでいっても生活はついてくる。生活はきつい。とても私には背負いきれない。

毎日を何気なく済ませることのなんと難しいことか。何の問題もない日を、たった1日作るだけのことが何故こんなにも大儀なのか。

こういうのを「生活能力がない」と言うんじゃないか。

思い返せば、私が生活できていた日なんて無かった。じゃあ今まで何をやって、こんなに時間を潰したんだろう。わかんないよね。考えたくもないよね。やめようね。

 

というわけで考えるのをやめたらめっちゃ眠れて、眠りすぎて昨日の日記すっ飛んでた。そんな日もあるよね〜!ナイス健康〜!!

 

時間は戻らないから良いんだよ。戻ったり繰り返したりするのが一番恐ろしいんだ。三次元に余計な機能がなくてよかったよかった。生活は続く。おやすみなさい。