暑さを許せるある特定の状況

 ここ最近暑い日が続いた。今夜になってようやく世界が冷えを取り戻した。

 それに伴って、私もようやく少しの平穏を取り戻した。暑いだけで心身が本当にダメになってしまうから、今後も夜だけは世界が15度以下、せめて20度以下になりますように。できれば世界が30度以下に保たれますように。お願いだから。

 

 暑いのは苦手だし嫌いなんだけど、実はある特定の状況下における暑さは好きだったりする。

 例えば、休日の夕方、夕日に照らされたXX駅前を歩くなら、ほのかな湿気と25度くらいの暑さがいい。

 休日の夕方のXX駅前は、ベンチに座って誰かを待つたくさんの人たちの前を、黙々と移動する人の群れ、これから街に繰り出す人の群れが足早に通り過ぎる。中途半端なビルの看板、そろそろ光り始めるネオンがこの街のあらゆる「今夜」を暗示する。そして、駅の外観が妙なノスタルジーを醸し出す。

 これが最高なんだけど、その良さがさらに引き立つ気温と湿度がある、ということに気づいたのはつい先日のことだった。

 何もかもが完璧だった。頭を抱えてしゃがみこんで唸りたい衝動に駆られた。

 

 例えば、真夏の昼過ぎ、YY駅前。

 蜃気楼が見えそうな日射し、嫌になるほどの湿気。小さな日陰と壁を見つけ出して人を待つ。私は音楽を聴いている。この暑さと湿気にぴったりのけだるい曲。

 すっかり飲んでしまったフラペチーノの容器の底を、ストローで執拗に責め続ける。ズズズ、と間抜けな音を立てるカップ。ストローの先をぎりぎりと嚙み潰して、私は日焼けを気にしながら、やっぱりうんざりするほど蒸し暑い。

 

 例えば、夏の終わりといいつつまだまだ蒸し暑い、日の沈みかけたZZ駅前。

 暗くもないけど明るくもない、そんな時間帯。猥雑なZZ駅前は、昼間の殺人的な日光でどこもかしこも火傷している。人がせわしなく歩くのはそのせいだ。飲み屋の客引きのステップが軽やかすぎるのもそのせいだ。

 まとわりつく湿気はほんの少しだけ冷たい。ふと、大きな橋から川を覗き込む。綺麗なんだか汚いんだかよくわからない川は、やはり黒く濁っている。それでも大きな鯉がたくさんいて、私たちの影に反応して水面に出てくる。すごいね、あれ。ウケる。おかしいなあ。おかしいなあ。インナーのキャミソールの内側を汗がひとすじ落ちていく。そうだ、私、今夜はタイ料理が食べたい。シンハーをぐいっと飲みたい。この近くにあったっけ。

 

 こんなシチュエーションが最高なので、それだけのためなら暑くなってもいいよ。マジで、それだけのためならね。