計画性がない話

 計画性が本当にない、というか見通しを立てる能力が皆無なのに、無駄に勢いだけがあるせいで、人生が虫歯だらけだ。いつの間にかできてて、気づいた時にはめちゃくちゃ痛い虫歯。治療法は時間の経過だけ。銀歯になるのを待てるだろうか。最終手段は抜歯。

 

 見通しを立てる能力、めっちゃ欲しかった……。最近ようやく、明らかに「見通しを立てる能力」が欠けていることを自覚しはじめた。

 いや、欠けているというよりかは、想定される行く末が何パターンも思い浮かびすぎて、しかも全部ありえそうだから、身動きが取れなくなってしまうのだ。

 身動きが取れなくなった後の行動は二通りしかない。「何もしない」か、「どうなってもいいからやる」か。

 「どうなってもいいからやる」を選び続けたらここまで流れ着いた。運が良いんだか悪いんだかわからないけれど、こうやって生きたまま遭難し続けている。

 目の前のことにいちいちびっくりしたり感動したり、喜んだり怒ったり、テンションが上がったりして、その態度を自分でコントロールすることができない。自分で自分に流されて完全に遭難している。

 現在、救助の見通しはついていない。

 最近はもう救助も諦めていて、そもそも救助が必要なんだろうか、ほっとけばそのうち死んじゃうだろうし、このまま流されていくのも人生かもなあ……なんてぼんやりと考えている。運良いから、私が気づいていないだけで、すでに救助されている可能性さえあるし。

 

 行き当たりばったりの性質を、この流れで見せつけてしまった……。なんの話だっけ。ああ、計画性がないって話だ。ある意味わかりやすく例示してしまった。

 

 「こうすればこうなるはずだ」が本当に推測しがたい。それは今まで、あまりにも因果に無頓着だったからかもしれない。

 だから最近では実験することにしている。これを毎日続けたらどう変化するか、こんな言い方したらどんな返事が来るか、テンションを合わせるとどうなるか、日常会話は笑うだけで本当にごまかせるのか、どれくらいの時間をかけるとどんな人の対応が変わるのか。

 記録なんてしていないけれど、「おっ、今日はこうなったか」「こうするとこうなるんだ」なんて思いながら生活している。さながらアサガオの観察日記だ。昔していた勉強が役に立ったりもして、実験生活は楽しい。何より、自分にとって有益かもしれなくてわくわくする。極めたら技術になるだろうし。

 最近とみに思うけれど、新しい技術の習得は、趣味を一つ増やすことと似ている。いや、逆かなあ。趣味が一つ増えると、新しい技術が増えるのかなあ。

 そこの因果は、やっぱりまだよくわからないのだ。なんせ無頓着なもので。