「話があるんだけど」が苦手すぎる

 「話があるんだけど」が苦手すぎる。これが得意な人って存在するのかな。

 話があるなら、その話から突然始めてもいいはずなのに、なぜか置かれるワンクッション。それが「話があるんだけど」。怖すぎる。わたしは今からワンクッション置かなきゃいけない話をしますよ、という宣言としか受け取れないので、100%身構えてしまう。聞きたくない話が飛んでくるんじゃないかという不安と恐怖で逃げたくなる。

 実際、「話があるんだけど」と言われたら、私の返事はだいたい「えっ、何?」「ごめん、それどんな話? 私の話? 怖い話?」という感じになる(ただし、金銭が絡む話は逃げない)。あなたの話で、ちょっと怖い話かな、と言われて、じゃあ聞きたくない! と言ってやめてもらったこともある。

 ただ、話してもらうと大したことなかったパターンもかなり多い。次に遊ぶ日の相談だとか、次に出す薄い本の内容だとか、そういった内容が「話があるんだけど」の後に出てくると本当に脱力する。「なぁーんだ、その話ね!」と笑ってしまう。そんなに深刻ぶらなくてもいいのに、と思うけれど、実際勝手に深刻ぶっているのは私の方だ。

 

 そもそも、話があるんだけどと言われてなぜ怖いのか。己にやましいところがあるんじゃないのか。いや、自分に関係のないところからすごく面倒な話がやってきて巻き込まれることもあるにはあるけど、そういうのからは堂々と逃げられるタチなので、さほど問題はないのだ。やっぱり自分の話が一番怖い。

 やましいことをしていなくても、何か罰を受けるような気がしてしまう。善良な小市民だと自分で言い切れるくらいには平凡な生活をしているのに、なにがそんなにやましいのだろう。

 生きていることがやましい、という段階は通り過ぎたので、これは違う。じゃあ他になにがやましいのか。

 考えてみると、何も起きていない気がしていること自体にやましさを感じているのだった。

 気づかないうちに、自分がなにか非常に大きなミスをしているんじゃないかという不安が常にある。実際には何も起こっていなくても、なにかとんでもなくひどいことをやらかしているんじゃないか、私はそれに気づかないでいるんじゃないか、そしてそれに気づいている他人がいるんじゃないか。こんな疑念にとりつかれる。

 私が気づかずに重ねたミスを見かねた他人が、ついに私にそれを指摘してくれるとき、その最初の言葉が「話があるんだけど」だ。たぶん。

 だから私が恐れているのは「話があるんだけど」でも、その先の話でもなくて、「話があるんだけど」に至る経緯なのかもしれない。

 これをなくすには……自分が気づかないミスをなくすなんてのは無理だから、「話があるんだけど」と言われるくらい他人と関わらないことかな!

 

 ……だめだ……。丸くなり、睡眠。