生活上の合図

 生活していると「ここで笑って!」「ここで泣いて!」「ここで悔しがって!」「ここでやる気出して!」「ここで怒って!」「ここで喜んで!」「ここで申し訳なく思って!」みたいな合図がちょくちょく出てくる。

 今日は特に「ここで驚いて!」「ここで申し訳なさそうにして!」「ここで喜んで!」「ここで感謝して!」みたいなものが多かった。他には「ここで共感して!」「ここで真剣な顔して!」「ここで謙遜して!」「ここで笑って!」「ここで悩んで!」もあったような。そのたびに、ああ、合図が出たなあと思うので、合図に準じた処理をする。

 「合図」なんてものは私の気のせいであることはわかっているけれど、大概はこの妙な合図に従っておいたほうが楽だ。だから、よほど意に反していない限りは従うことにしている。無理な時は本当に無理だけど。きっと、多くの人にも同じ合図が、多かれ少なかれ出されているに違いない。

 

 この合図に関して、最近は、楽譜に書いてある"legato"や"moderato"みたいなものかなと思うようになった。五線譜の外にある「この曲はこういうかんじで弾いてね!」という指示。

 外の生活はBGMだから、なにもかも譜面通りにやっておくほうが無難なのだ、たぶん。だって突然不用意に一つの音だけが大きくなったり小さくなったり、静かな曲なのに一人だけ強く弾いていたら、BGMとしては違和感があり、悪目立ちしてしまう。悪目立ちすれば待っているのは制裁なので、面倒くさい。

 上手にアレンジしてまとめられる人がいればいいけれど、そういう優れた人は稀だ。大概は曲を止めて、曲を乱すパートの人を消してしまって、そそくさと演奏を再開する。私もよく消えたなあ。そうやって終わらないBGMを今日もなんとか平穏に終わらせることに終始するのが人間なんだろうか。疲れる〜! 人間やめちまえ〜!

 

 ただし、内面の生活はBGMではないらしく、楽譜もなければ、妙な合図も一切飛んでこない。だから好きな時に好きなだけ、やりたい放題、言いたい放題している。何かが自分だけの思い通りにできたときには、本当に心が休まる。癒されているという感覚すら生まれる。

 

 ここまで書いてようやく気づいたのだが、一人の時間がないと神経が休まらないのって、他人といると合図が飛んでくるからじゃないだろうか。気にしなきゃいいと言われるかもしれないけれど、まだそのレベルに到達できていない(修行が足りない)。合図の飛んでこない生活をするには、無人島で自給自足する以外にない。そして私は無人島で自給自足なんて絶対にやりたくない。合図をどこかで必ず受ける生活をするしかないらしい。

 だから、今ある一人の時間および内面の生活を大切にしようと強く思った。