人間を人間と思う能力が少ない

 このブログの下書きに「卵液って言葉めっちゃエロいな」とだけ書き残されていたのですが、書いたときの私は何を思っていたんでしょうか。

 

 どうでもいい前置きはいいとして。

 全然別のどうでもいい話をします。

 

 私には、人間を人間だと思う能力が少ないです。

 これのおかげで面倒なことになったことがたくさんありますが、人間のことを人間だと思わなくてよい、むしろ思わないほうがよいという場面がこの世にはいくつかあります。「良心がいたむ」という感覚がなければないほど捗ることがあります。

 私の乏しい人生の中でも、そのような場面や仕事が複数ありました。

 例えば、以前やったコールセンターのアルバイトなんかは、「人間を人間だと思う能力が少ない」おかげで非常に楽でした。

 ただひたすら電話をかけ続けては、相手の出方によって話が右に左に曲がりますが、私のするべきことは決まっています。相手に買う気がないならはいさよ〜なら〜、ポチッ。で終了です。相手が買う気なら諸々の確認事項を聞き取って、ありがとうございました〜失礼いたします〜、ポチッ。ノルマのない場所でしたので(バイトだからかも)、受注が入れば褒められるし、入らなくても仕方ないわけです。

 上司に何言われてもぜーんぜん気にしなくてよし。人間関係持たなくてもよし。私の相手は電話の向こうなので、こちらがどんなにだらけた姿勢でいても、顔と声さえ笑っていれば、それとお決まりの敬語やクッション言葉や売り物の説明が口からずらーっと出てきさえすれば、ゴリゴリ決まっていきます。

 こちらから電話をかけるわけですから、相手に電話をガチャ切りされたり、「今忙しいの」「もう架けてこないで!」などと言われてしまったりします。そういうとき、「人間を人間と思う能力」の低い私は、まったく良心がいたみませんでした。

「かしこまりました、お忙しいところお時間いただきましてありがとうございました、また後日改めてご連絡いたしますね〜失礼いたします」

「かしこまりました〜それでは今後こちらからのお電話でのご連絡が一切ないように手続きいたしますね。お時間いただきありがとうございました〜失礼いたします」

っていう一種のテンプレを覚えて、感情がこもってそうな感じで読んで、はい次、はい次、ってやっていました。

 顔の見えない相手に何をしても、良心なんて全然いたみません。むしろ心そのものが全く痛みません。機械のようにやっていたからでもあるのでしょうけれど。

 ですから、当時は「こんな楽な仕事って他にある?」というぐらい、ゆるくやっていました。引越しの都合で辞めざるを得なかったのが非常に惜しかったくらいです。

 そのようなことを最近思い出しまして、ああ、「人間を人間だと思う能力」が低いことにも利点があったんだな〜、ラッキー、と思いました。こういうのを仕事の適性と言うのかもしれませんね。

 なんかめっちゃコルセンのバイトの人向けの記事みたいになってますけど、日記です。

 私が今日思った「人間を人間と思う能力の低いことにも利点があったなあ」っていうお話です。うわ、めっちゃそういう記事みたいで恥ずかしくなってきた。日記なのに。

 日記っぽいこと書こ!

 いま、外から雨音がして、非常に癒されます。屋根とご飯とお風呂とベッドとPCと音楽があって本当によかった〜〜〜〜!です。ベッド最高!一番最高な寝具です。おやすみなさい。