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耽溺

 前々から読んでみたかった本が夕方届いた。今まで、この本を読みたいなと思いつつも、なんとなく購買行動に結びついていなかった。しかし、先日急に「今すぐ読みたい」という気分になり、購入した。その本は絶版だったので、中古で買わざるをえなかったのだが、そのおかげでとっても安かったことも私の背中を押して、ついでに購入ボタンも押した。

 本を数十ページ読み、ふと思い立ってこの本のレビューを探して読み、また本を数十ページ読み、生活をして、また本を読み、酒を飲みながら読み……気づけばあと50ページほど。今夜中には読み終わってしまうのがちょっとだけ寂しい。けれど、これは何度も読み返すことが前提の本のような気がするから、今後ともお世話になるはず。

 「今すぐこんな生活がしたい」「今すぐこんなふうにしてみたい」と思うようなことばかり書いてある。久々の現象だ。この生活をするには、もう環境からなにから全部変えなければならないのだが、そんな面倒なんて鼻をかむのと同じくらいどうでもいいことのように思える。苦手なことも勉強しなければならないこともどうにかなると思える。私の憧れはこんなところにまであったのか。新しい大陸を発見したらこんな気持ちになるのだろうか。

 それにしても、人の不思議さよ。と、この本を読んでしみじみ思う。

 人の数だけファンタジーがある、ということはそのまま、人の数だけ人生があり、人の数だけ世界があるということなのだ。

 私は、大きな工場を外側から見るのが好きだ。あの配管や足場、妙な形の施設、おびただしい量のライト。それらのすべてに必要性があり、必然性があり、意味があるということの圧倒的な美しさ。

 それに比べて、人にそれぞれある人生の必要性のなさ、意味のなさ。あるのは蟻の行列のような偶然だけ。工場の配管なんかよりずっと醜くて汚い。ああ、人の数だけ人生があることを想像するだけで気持ち悪い、気持ち悪くって最高だ、私はそういうの大好きだ。ああ最高、最高だ。大好きだ。もっともっとどうでもいい他人の、どうでもいいファンタジーを聞きたい。

 興奮してしまった。これは興奮するような本なのだ。まだ最後の一文字に到達していないのに、もうこのザマだ。うふふ、これは何の本か、ここじゃ教えない。私の心の中にあるガラスケースにそっと並べて、鍵をかけておくのだ。また読むときはきっと、白い手袋をつけて、ガラスケースの鍵を手際よく開け、ガラスの戸を音が出ないくらい静かに開けて、うやうやしくこの本を取り出すのだ。頭の中で。

 そんな本もいいよね。勧めてくれた人ありがとう。確かにこれ私が好きそうな本だったよ。ってここに書いても届かないんだけどさ。ああ楽しい、しばらくこれだけ読んでいられる。まだ寝ない。