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悲しみなんて無いほうがいい

雑談だ

 テレビを見ていたら、

「このあと、激しい揺れや津波の映像を流します。ほにゃららな方はご視聴をお控えください」

みたいな文言がテレビから聞こえてきて、

「あ〜、『嫌なら見るな』って遠回しにこう言うんだ〜」

と学んだ。

 こちらとしては、「そのような映像でしたら、ご放送をお控えください」と思うんだけど、まあ流したいなら仕方ないわな。

 というわけで、見なかった。

 

 あんなもんいつ見てもきつい、悲しい。

 

 なんの歌だか忘れたけれど、

人は悲しみが多いほど 人には優しくできるのだから

という歌詞がある。ああ、武田鉄矢の『贈る言葉』だった。

 その直前の『悲しみこらえて微笑むよりも〜』には「ほんとそれな」と思う。

 けれど、人に優しくできることと引き換えにするくらいなら、悲しみなんて絶対に多くないほうがいい。できれば一切ないほうがいい。悲しみなんていらない、一つもいらない。

 悲しみが多い人に、「人に優しくできる」ことを利点として教えるのはあまりにも……あまりにも、嫌だ。救いがないとさえ感じる。この歌詞に救われる(救われた)人も多いには違いないけれど。

 

 武田鉄矢の歌詞に何を熱くなっちゃってるんだろう。なんでだっけ。

 ああそうだ、ニュースで「あの日から六年です」と伝えられるたびに、こんな悲しいことは二度とごめんだ、と強く思ったんだった。
 そこに偶然、記憶の彼方からこの歌詞の一節が飛んできて、ぶつかった。とばっちりだ。ごめんね、鉄矢。そんなつもりじゃなかったの(あらゆる罵声や悪口をキャンセルする言葉として学習した言語・その1)。

 

 でもね、やっぱり、人に優しくできるとしても、悲しみはもう要らないよ。あんなのはもうたくさんだよ。

 自然災害だけじゃなく、生きてりゃいろんなことがある。

 つらいこと、苦しいこと、イライラすること。これは時間と休息、適切な対処で少しずつ少しずつ改善し得るものだと思う(嫌なもんは嫌だけど)。

 だけど、「悲しいこと」には終わりが見えない。

 

 「今日(11日)から数日間、ものすごくたくさんの人の命日なんだ」と気付いたときに、今日はもうだめだ、と思った。イメージした「悲しみ」の総量があまりにも多すぎて、完全に当てられてしまった。

 震災に限らず、いろんな災難がある。悲しみの数だけ災難がある。

 災難になんて遭わないのが一番いいじゃないか。

 それを乗り越えたら人に優しくできるとしても、乗り越えられなかったらどうなってしまうの……。悲しいことなんて、無いほうがいいよ。一切なくなってくれよ。無理だとしても願わせてほしい。悲しいことはもう嫌だ。

 (殺したいほど嫌いな人&「悲しいこと」に性的興奮を覚える人以外の)どんな人にも、猫にも、他の動物にも(虫でさえも!)、悲しいことがなくなりますように。

 

 そういえば「悲しみはもうたくさんなんだ」っていう歌詞の歌があったっけな。

 私もそう思う。悲しみはもうたくさんだ。


【輪るピングドラム】dear future/coaltar of the deepers【ED】

 

 若干興奮しちゃった。おやすみなさい。