「死んだほうがマシ」の中を征く

 多種多様な、でも同根の「死んだほうがマシ」を抱えながら、日常をやりすごすのが私の人生なのかなあ、と思った。

 

 「こんなことするくらいなら死んだほうがマシだ」と思うようなことは、たくさんある。これはあくまで私の場合であって、私の問題だ。この世がどんなに嫌でも、私にこの世を変える力は無い。だから、死んだほうがマシなことでも、普通にやってのけられるほどの強さを身につけなければならない。これは全てこの皮膚の内側の問題だから、なんでも全部内側に抱え込んでいくしかない。外に出してしまえば、たちまち厄介なことになる。

 おそろしいことに、何回「死んだほうがマシだ」と思っても、私が実際に死んだことはない。面倒でも、この気持ちを抱えながら死ぬのを待つしかないだろう。

 一番面倒なのは、「死んだほうがマシ」と思う心を捨てたくないことだ。これを捨てるくらいなら死んだほうがマシ。一生付き纏ってもらうしかない。ああ面倒臭い面倒臭い。だけど、こればっかりは仕方ない。

 というわけで私はこれから、死んだほうがマシだと思いながら、たまに柱に額を打ち付けながら、酒を飲みながら、叫びながら呻きながら泣きながら壁を殴りながら死にたくなりながら、なんでもやるしかない。……という結論に至る。ゲロ吐きそう。

 でも、ずっとそうやって生きてきたような気もする。みんな(目に見えない連帯、この世でもっともおぞましいが強大なもの)もそうやって生きてるのかしら。

 

 もうちょっと、この辺のことは考えておこう。

 これまで、このやり方でなんとかできたのは私の実績でもなんでもなくて、単なるなりゆきだ。運の良さによってもたらされた現状でしかない。

 今後、この路線で行って、どんなひどいことが起きそうか。ひどいことになったら、どうするのか。死ぬのか。路線変更できるか。そうするとどうなるのか。「死んだほうがマシ」がさらに増えるだけか。その質と量に今度こそ耐えられなかったらどうするのか。このままやっていって、何か楽しいことや上がり目はあるのか、ないのか。なかったらどうするのか。死ぬのか。死ぬのかなあ。人はいつか死ぬけどさ。それなら……やめやめ。これ以上はなんらかのコードに触れそうだから、やめやめ。反吐が出る。

 今後良くなる可能性は、考えても仕方ない。夢でしかない。

 ところで、最悪の事態を想定するのも、希望的観測も、等しく妄想なのに、どうして希望的観測だとポジティブって言われて褒められたりするのだろう。どうして最悪の事態を想定すると、最悪の場合は治療対象になってしまうのだろう。どうして……もうやめよう、馬鹿馬鹿しい。私にこの世を変える力は無い。

 とにかく、未来が良いかどうかなんて、生き残ってしまえば、後からいくらでも自由に決められる。それこそ「都合良く」。だから、良くなる可能性なんて今考えても仕方がない。生存バイアスの力を信じている。

 

 よし、今日はこのぐらいでいいや。別に今はそこまで死にたくないから。

 死んだほうがマシな状況なんて、生きてる限りずっとあるけど、金さえあればなんとかなるし、今は余計に不快に思いたくもない。

 今日ちょっとこねくりまわしたかっただけ。こねくりまわしすぎたな。日記だねえ〜。

 

 こんなタイトルだし、ど定番だけど生きマシでも貼っておくか。


syrup16g - 生きているよりマシさ (MV)

 

 でも、歌詞的にハピネスの方が私の心情に合っているので、最後はハピネスにしよう。

 五十嵐いつもありがとう。おやすみなさい。


Syrup16g - ハピネス