適切さ

 適切さ。私が憧れるものの一つ。

 どんなに憧れたところで、何が適切なのか、私にはわからない。適切かどうか、それは全て私以外の人間が評価するものだからだ。私がどんなに「これが適切だと思います」と言ったところで、他人たちに却下されれば終わりだ。そんな目に見えない尺度のことばかり気にしながら生きてきた。確かにこの皮膚の内側にある、「適切でない」気持ちを無理矢理に抑えつけながら。

 慎重にならなければいけない場面では、「きっとこれが適切だろう」と予測しながら行動する。不正解なら明確な罰が与えられるが、正解すれば罰がない代わりに報酬もない。それが人間の「普通」だけど、私が実験用のラットなら、とっくに動けなくなっているだろう。

 この世で、多数決は大きな力を持っている。そして今生きている人間はそれに適応できる人ばかりだ。淘汰されて淘汰されて、世の中は正しく尖っていく。でもまだ淘汰され切らないで、生きているのが私だ。

 反吐が出る。下痢しそう。やってられん。私はこの世に一人しかいないのに、私は私しかやれないのに(他人になれないのに)、そんな馬鹿馬鹿しいことですり減りたくない。しかし、社会と折り合いをつけないと死ぬんだろ? 社会って人間の集まりで、私も人間だから。折り合いつけるよ、わかったわかった。死なない程度の石だけを投げてもらえるように精々頑張るよ。その姿勢が適切かどうか、私には決められないから、どんなサイズの石が投げられてきても何も言えないけど。いや、どんなサイズの石が投げられても死なない程度の装甲を身につけるほうが早いな。面の皮をどんどん厚くしていこう、恥知らずになろう。内側から固い鱗がモリモリと生成されていく。表皮は鉄みたいに硬くなっていく。

 こうやってどんどん頑なに硬くなっていって、いずれ墓石が完成する。自分の体が墓標なんてかっこいいじゃないの。いいじゃん。どうせタンパク質の塊。とっとと燃え尽きよう。

 アルコール・ブーストで非常に威勢が良いですな〜!明日の朝、「うわーやっちゃった何書いてんだ私」ってなったらめちゃくちゃ面白い。どんどんやっていこう。

 

 私にできるのは、好きなものを好きと言って、つまらんことをつまらんと思って、どうしようもないときは白目むいて、中指立てて、ついでに鼻くそでもほじりながら「だから何?」と誰にも聞かれないように叫ぶことぐらいだ。

 あらまあ、随分気が小さくてかわいらしいこと。嫌なことを避けるには、気をどんどん小さくしなきゃね。五感を全部縮めないとね。この生存戦略と、この尊大な自我のバランス、もう一生とれないだろうな。どこかであと2回ぐらいクラッシュしといたほうが良い気がする。そんなの、大迷惑だし、私だって嫌だし、もう勘弁してくれよって気持ちでいっぱいだけど。

 あーあ、ここまでくるのに随分遠回りした。まだ遠回りの途中かもしれない。しかし、ゴールなんてどこにあるのかさっぱりわからない。実は遠回りのようでいて、最短コースなのかもしれない。苦行かよ。苦行だね。なんにしろ、こんな平凡な人間が、こんなにこじらせて、こんなに遠回りしても生きていられるなんて、運と環境がめちゃくちゃいいんだろうな〜。圧倒的感謝〜。

 

 あ、日記でしたね。

 最近、ようやくボディミルク的なものを導入しました。そうしたら、子供の頃に通っていたピアノ教室の先生と同じ匂いがして、大変懐かしい気持ちになりました。ちょっと茶色い紙の、楽譜をめくるときの映像が生々しく思い出されます。先生、今はお元気かしら。……そんなこと、1mmも気にならないのにとりあえず書いてしまいました。

 もっと良い匂いを嗅いで眠りたいので、好きな香水でもそのへんに振りまいておきます。おやすみなさい。