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耳鳴りとパイナップルの慣習

 バイオリンはなぜ顎に挟むようになったのか考えていたら、2月が終わりました。

 「かっこつけるため」以外に何かあるんでしょうか。
 あのサイズじゃないと出せない音があるとして、なぜ顎に挟むのでしょうか。安定感があり、楽器の状態が目視できて、片腕が自由に使えることを追求した結果でしょうか。

 大概のことは、なんとなく現状に落ち着いている気がします。慣習のことは考えても仕方ありませんね。
 これを書いてわかったことは、「でしょうか」で終わる文を続けるとちょっと怖い、ということぐらいです。質問攻めは怖いということを再確認しました。
 質問の奥になんらかの確信が見え隠れするのは怖いですね。見えないものを見てしまっただけだとしても。
 高い山を見ると「この山が実はハリボテで、こちらに向かって倒れてきたらどうしよう。街がどこからどこまで潰れて、ここら一帯のインフラが死んで、人が何人死んで……」と不安になり、あれこれ考えてしまうのですが、それに少し似ています。

 

 

 昨夜、「いい夢が見られますように」と思いながら眠ったら、本当にいい夢を見てしまいました。

 あまりにもリアル且ついい夢だったので、目が覚めて少し経ってから夢であることに気づきました。「なんで夢なんだよ!」と、がっかりしました。そのうち、夢の中で妙に思っていた箇所がいくつかあることを思い出し、「ああ、あれは確かに夢だった」と納得したのでした。

 夢って人に話すと正夢にならないって言いますよね。いや、私の親が言ってるだけかもしれませんけど。だから、怖い夢や嫌な夢の時は積極的に人に話すのですが、いい夢の時は正夢になってほしいから、できるだけ内容を話さないようにするのです。

 結果、悪夢の記憶と記録ばかりが残り、良い夢のことは忘れていきます。

 悪夢が正夢になったことは、あったかどうか思い出せません。良い夢が正夢になったかどうかも思い出せません。

 迷信ですね。悪夢は人に話せという迷信は、何のための迷信なんでしょうね。夢のせいで不当に生まれた負の感情を発散させる目的なんでしょうか。

 慣習のことは考えても仕方がないですね。でも、考え始めるとキリがなくって楽しいのです。

 

 私も、何か適当な迷信や慣習を作ろうかしら。できるだけ無害なものを。

 耳鳴りがしたらパイナップルを丸ごと逆さに干す慣習のある村。たぶんパイナップルの栽培が盛んな場所ですね。そこに伝わる迷信と言ったら、「焼き鳥の串は地面に刺すといいことがある」でしょう。村では、焼き鳥がとてもポピュラーで、住宅地はそこらじゅう焼き鳥の串まみれ、剣山みたいになっています。地面に串を刺すということは、惑星に串を刺すわけですから、これは神に守られた我々にのみ許される行為かもしれません。

 そのように村じゅうで勘違いしていますが、それは全くの迷信です。焼き鳥の串は地面に刺しても特に良いことは起こりません。また、神に守られていなくても、地面に串を刺すことはできます。

 おそらく、そう説得しても、この慣習は残るでしょう。迷信も残っていくでしょう。だから、村ではパイナップルが今日も栽培されているし、みんな焼き鳥をおいしそうに食べているし、串は地面に刺さるでしょう。

 

 あれ、無害な慣習や迷信のことだけ考えるつもりだったのですが、なんなんでしょこれは。まあいいか、勝手に出てきたものですから、そのまんまにしておきましょう。耳鳴りがしたらパイナップルを逆さに干す慣習があり、焼き鳥の串は地面に刺すと良いことがあるという迷信があります。他にもたくさん考えましょう。

 でも、睡眠優先です。今夜も良い夢が見たいです。おやすみなさい。