のけもの

今日からこっちにします。理由や経緯は↓に書きましたので興味のある人はどうぞ。
超簡単に言うと「WordPressにビビったから」です。 

oqodousiyo.hatenablog.com

最近、『けものフレンズ』というアニメに関する事柄が、頻繁に観測範囲に入ってくるようになったので、見ることにした。
「すごーい!」「きみは〇〇なフレンズなんだね!」「おもしろーい!」といった、最近流行り(?)の"けものフレンズ構文"を聞いて、使ってみたいと思ったことも動機の一つだった。

だいたいのあらすじを説明すると、

ジャパリパークという場所に、記憶喪失の主人公が突然現れる。そこで出会ったフレンズ(動物の擬人化、全員美少女、見た目は限りなく人類に近いが内面や行動が動物)たちに助けられながら、主人公は「自分は何の動物なのか」を知るべく、図書館と呼ばれる場所を目指して冒険に出る。

……みたいな話だと思う。色々端折っている。

見終わった時は、なんじゃこりゃあという感想しか思い浮かばなかった。

しかしその後、オープニングの曲を繰り返し聴くうちに、

「けものはいるけど のけものはいない」

という歌詞が急に体の中に入ってきた。

このアニメの中には、様々なキャラクターが登場する。
その中には、主人公以外には言葉で語りかけない者、体にいいからと言って土を舐めている者、誰も寄り付かない山の頂上でカフェを営む者、歌が好きだが声の制御がうまくいかない者、地下迷宮に引きこもって世界について研究する者などがいる。
彼らが"のけもの"でないというのは一体どういうことなのだろう。

考えた上で、悟った。彼らはけものだけれど、のけものではない。

オープニングテーマは、おそらくはアニメの舞台であるジャパリパークのテーマソングであり、CMソングなのだろう。つまり、ジャパリパークの住人である限り、彼らはのけものではないと規定されているのだ。

彼らはただそこに「いる」だけで、しょっちゅう誰かの役に立ったり、いつもたくさんのフレンズと交流したりしているわけではなさそうだった。それでも、決してあの世界では のけもの ではない。
彼らもまたけものの一部、世界の一部であって、それぞれがやりたいこと、できることを、やりたいようにやっているだけなのだ。バラバラの個体がバラバラに生活している、しかし彼らは誰一人としてのけものにされるわけではない。なんて優しい世界なのだろう。

頭の中の靄がスーッと晴れたような気がした。
「すごーい」「きみは〇〇なフレンズなんだね!」といったけものフレンズ構文を揶揄するような気持ちが、一切消えてなくなってしまった。

この世界の誰も、のけものじゃない。どこで何をしている人も、のけものじゃない。どんな悪党だったとしても。
「本当の愛がここにある」––。尊い……。

 

そのあと、夕飯を食べていたら、何の前触れもなく、本当の何の前触れもなく突然気分が落ち、終わった。私の中のジャパリパークは完全に消去された。

今見えるのはPCの画面と汚い部屋、昨夜の寝相のままにズレた毛布と掛け布団だけだ。私の目と脳を通した現実だけがここにある。勘弁してくれ。おやすみなさい。