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なりゆきの神

「えっ? わたしが神になるんですか?」

 昼過ぎのカフェに素っ頓狂な声が響き渡る。店内のBGMと人の声にすっかり打ち消されたその言葉は、行き場をなくしてわたしの口に戻ってくる。

「……わたしが神になるんですか?」 「そうです」

 目の前の男が答えた。彼の腕時計は止まっていた。手元のカフェラテはまだそんなに減っていないようだった。

 そうか、わたしが神になるのか。私は左手の人差し指で、少し折れていた靴のかかとを直しながら、天井の蛍光灯を見つめた。

 神?神って、あの神だよなあ。あの、なんか、神。

「そうです。その、神です」

私の心を読んだように男が言う。ああ、この人は心が読めるんだ。人じゃないかもしれない。

「神です」

えっ。それなら話が早い。

「神って、何をやるんですか」

「今まであなたが神にしてきたようなことを、される役割です」

「マジですか」

「マジです」

「ですよね……」

 今まで神にしてきたこと。毎年正月にお金を投げて祈る。信じない、存在すら信じてないと思う、言う。たまに悪態を吐く。

「……結構、大変ですよね」

「そんなことはありませんよ。私もこの一年、神をやってきましたけど」

「そういうものですか」

「そういうものです」

 どういうものだよ。全然わからない。

 混乱しているうちに、目の前の男が神であることに対する驚きが今更やってくる。そもそもあなたも神だったのかよ。

「先ほども言いましたが、そうです」

「あの、わたし考えてるだけなので返事しなくていいです」

「はい」

 神に命令してしまった。思考は全部読まれているから、心の中で謝っておく。ごめんなさい。

 私たちはそのまま沈黙した。意識のやりどころが難しい。とりあえず、半分ほどに減ったアイスティーのストローをつまんで、ぐるぐる回す。氷の音が赤子の泣き声のようにわたしを責める。たまらず、ストローを咥えてしまう。アイスティーがまた減る。飲み物の残量は許された沈黙の残量と比例する。

わたしが意を決して口を開こうとすると、目の前の男も顔を上げた。

「あの」

「はい」

「神になるメリット、ありますか」

「神によります。私には少しありましたけど」

「……なるほど。もう一ついいですか。神って世界とか創りますか」

「創る神もいますよ。ただ、そういうのに興味ない神もいますね。創らない神もけっこう多いです」

「そうですか。ありがとうございます」

 わたしはアイスティーを一気に飲み干して、テーブルの下で足を揃えた。7cmのヒールの先が床をギリギリと痛めつける。

「わたし、神になります」

 男は「わかりました」と言って目を閉じた。何か大変なことが起きそうな気がして、わたしもつられて目を閉じる。 そして考える。

 急に大洪水が起きたらどうしよう。急に大地震が起きたらどうしよう。急にガラスが割れたらどうしよう。急に世界が滅亡したらどうしよう……。

 30秒ほどして、恐る恐る目を開けると、何も変わっていなかった。目の前の男が怪訝な顔でわたしを見ている。

「別に滅亡しませんよ、ガラスも割れません、大洪水も大地震もたぶんないでしょう」

男はそう言いながらカフェラテを飲む。

 拍子抜けだ。神になるって、この程度のことなのか。

 いや、そんなはずはない。神になった証拠を探して、まず自分の腕時計を見た。目の前の男の腕時計が止まっているのがとても不自然に思えたからだ。神になると時間が止まるに違いない。

 わたしの腕時計は……止まっていない。スマホの時計も見た。止まっていない。117に電話して時報を聞いてみた。止まっていない。

 この男の腕時計が止まっているのは、神だからではなかったのか?

「これは気に入っているからつけているだけです。電池の交換も面倒ですからね。時間ならケータイ見ればわかりますし」

 またこの男は心を読んできた。神だからか? 仕返しに、わたしもこの男の心を読もうとしたが、何にもわからない。 試しに、隣のテーブルの女性の心を読むことにした。無表情にスマホの画面を撫で続ける、暗い茶髪の女性。35歳くらいに見える。何を考えているのだろうか……何もわからない。

 諦めて目の前の男に目線を戻す。やはり何を考えているのかわからない。

「あの……あなた、心、あります?」

「ありますよ、もちろん」

「じゃあ、あの。なんで心読めるんですか」

「はい?」

「わたし今、神になったから、人の心を読もうと思ったんですけど、できなくって。でもあなたはできてますよね。神になって一年くらいするとできるもんなんですか」

「えーと……私も別に読めませんよ。神仲間にも、心を読める神はいません」

 思わず、飲み干したアイスティーを更に啜ってしまう。ズゴゴッと嫌な音が立つ。

 何を言ってるんだこの神。じっと睨みつけると、男はコーヒーカップを握り、困ったような顔で言った。

「神になったからって特に何も変わりませんよ。ただ、神になったってだけで。ていうか、あなたの場合、心を読むとかそれ以前に、顔に全部出ちゃってるんで」

 そのあと、何を話したかあまり覚えていないけれど、お互い神を頑張ろうねみたいな空気になって、普通に帰宅した。

 神だからって電車の遅延に巻き込まれないわけでもないし、神だからって家が広くなるわけでもなかった。

 近所の弁当屋で買ってきた惣菜を食べながら、わたしはなんとなく、世界でも創ってぶっ壊そうと思った。