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欲を捨てたくない

きのこのつぼ焼きを食べながら、火曜日の涙の理由がわかった。完璧に理解した。なので、涙をこぼさないようにホワイトソースときのこを掬っては口に運んで、チーズケーキを一口食べてはきゅっと口を結び、紅茶を飲んでは涙がこぼれないように必死で目を見開く、まさに「メンタルがギリギリの人」そのものになってしまった。公衆の面前で。でも、涙の理由がわかったからそれで十分だ。今日は比較的すぐに泣きやんだ。

昨夜、寝る前に思い出したのだが、私の夢は大きなベッドで寝ること、みたいだ。 それ以外にもそれらしい夢がたくさんあったことも思い出した。 虎を育てて、毎晩添い寝したい。毛皮のコートを着たわかりやすく下品な女になりたい。何者かの手によって無理やり全身をピンクハウスのフリフリの服でガチガチに固められ、趣味の悪い化粧をべったりと施されたい。ドルガバの靴を履きたい。ルブタンでもいい。ロシア人になりたい。その他もろもろ。

夢なんて生ぬるいものじゃない。これは欲だ。 私は欲がなければ生きられないので、欲が欲しい。欲がないと人生が進まないから、欲が欲しい。欲は今日1日を生きるための糧になる。私が生き続けるには欲が絶対に必要なのだ。

実家での療養という、あまりにも自由のきかない生活をしていることに苛立っていた時、それを友人(宿命的なプロフィールの人)に愚痴ったら「これくらいの歳になったらさ、身の丈に合った幸せってやつを探していくしかないと思うんだよねー」と言われた。だから、その通りに「身の丈に合った幸せってやつ」を探した。 すると、私はいとも簡単に満たされてしまった。 私には住む家があり、住まわせてくれる人がいて、自分の部屋があって、猫がいて、ベッドがあって、電気が使えて、インターネットができて、殴ってくる人も刺してくる人もレイプしてくる人も殺そうとしてくる人もいない……こんなに私は恵まれていて幸せなのに、何をあんなにたくさん強く望んでいたのだろう。なんて欲張りだったのだろう。 私は今のままで十分じゃないか。これが私の身の丈に合った、いやむしろ身の丈以上の幸せじゃないか。享受しよう。甘受しよう。全てに感謝して。私は本当に運がいいんだ。これ以上求めるものなんてない。

数日後、この「身の丈の幸せ」「満たされている感覚」が私の生を脅かした。 きっかけは、観に行こうと思ってチケットも確保しておいた、とあるライブに行くのを諦めたことだった。会場が東京だったので、交通費や移動時間、体力を考慮すると参加することはとても厳しい。それでも一度は行きたいと思って取ったチケットだったし、やはりどうしても見たい。 しかし、ここでふと思った。 「私は今ここにいるだけで十分幸せじゃないか。わざわざ東京までライブを見に行く必要はないよ。身の丈に合わないんじゃないかな。諦めてもいいんじゃないかな」 ……という感じで、なんと私は奇跡的にライブへ行くことを諦め、それを穏やかな態度で受け入れてしまったのだ。今までの執着っぷりを考えると、本当に奇跡的であった。 さらに、その翌週にも同じようなライブの予定があったのだが、 「先週のライブも諦めることができたのだし、やっぱり身の丈に合わない趣味なんだよ。今まで背伸びをしすぎていたんだ。諦めよう」 と考えて、行くのを諦めた。 「あれも諦めることができたのだから、これも必要ない。諦めよう」の繰り返しが始まった。 ついに欲しいものが一つも無くなってしまった。欲しいものを一つでも諦めてしまったから、また別の欲しいものも簡単に諦められるようになってしまった。あの加速度と言ったら、ドミノ倒しそのものだった。一つ倒したら、律儀に順番を守って綺麗に全部倒れていった。 私は、あれもこれも諦められる。私は欲しいものを手に入れないでも生きていられる。今の私には欲しいものが何もない。それを得る喜びや楽しみも当然、ない。 でも、……そんな人生をこれから先10年も20年も30年も過ごすくらいなら、死んでしまいたい。何の楽しみも喜びもない人生なら、いますぐ死んでしまっても同じことだろう。生きている必要はない。そもそも、私に未来は必要ない。身の丈に合わないから。

身の丈の幸せを追い求めた結果、命さえもいらなくなってしまった。 この時はさすがにコテンパンにやられた(自分に)。私は生きるか死ぬか悩んで3週間ほど落ち込み続けた。そして決意した。

私は二度と、自分の欲を捨ててなんかやらない。私は二度と諦めてなんかやらない。

「……というわけで、私はもう身の丈の幸せのことは考えない。自分の欲しいものは『欲しい!』って叫び続けることにするからな!!」 と、私に「身の丈の幸せ」を勧めてきた友人にメールで一方的に宣言した。すると、「元気そうで何より」と返事が来た。いや、私、元気ってほどでもないよ。毎日困ってるし。私はいつでもどこでも毎日ひたすら困ってるだけだよ。あなたには言いたくないから言ってないけれど。

というわけで私は欲を捨てない!石油王!巨万の富!作為的な美貌!金の暴力!上質な寝具!良いイヤホン!世界一気持ちの良い睡眠!鈴のような声!良い骨格!外部記録装置!胡散臭さ!えげつない部位の肉!意味不明な中華料理!謎の大豆食品!食べたことない肉!食べたことない魚!城!新鮮な白子!私が一番美しく見えるドレス!麻酔!おやすみ!