た、たましい!の、浄化!

 「定期的に、この人の歌を聞いたり歌ったり、歌詞を読んだりしないと魂が腐ってしまう」と思う歌手がいる。

 ふだんの私なら、「た、魂!!」なんて絶叫して、白目を剥いてしまいそうな話だ。魂なんて、そんなものがあったら私が一番困る。

 それならば、なんと言い換えれば適切だろうか。何に置き換えても抽象的な言葉にしかならないけれど、「心性」あたりが近い気がする。意味はこんな感じ。

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 でも、面倒だから今回は便宜上「魂」にしておく。た、たましい(白目)!!!

 

 単なるオカルトだしファンタジーだから、こんなこと言うのも恥ずかしいくらいのレベルだけど、私のイメージの中に、私の魂らしきものが見える。なんとも平凡なことに、水の入った透明な球体である。それでこれが、定期的にメンテナンスしないと、どんどん淀んで腐っていくらしい。

 その魂らしきものが腐っている事にも気づかないまま、今日までかなりの時間を過ごしていた。己の心の淀んでいることに、こんなになるまで気づかなかったなんて。

 

 腐った心や魂に効くのは、結局「憧れ」だった。

 憧れがないと魂が澱む。腐る。すると、どうなるか。「なにがなんでもやる」という気持ちが消える。「私がやる」という気概が消える。そんなふうにして目隠しをされ、牙を抜かれ、去勢されたことにも気づかないほど鈍感になっていた。

 何の憧れも矜持もなく、魂を腐らせたままで生きる。そんな私なら死んでおいたほうがマシだ。

 

 イヤホンから直接耳に、歌詞カードから目に、声に出せばそのまま身体中に摂取できるものが血肉になる。そんな音楽があることに感謝する。そんな音楽を知っていて、ちゃんと聞いていた自分にも感謝する。

 おかげさまで、いま魂が浄化されている。腐った水が少しずつ排出されて、綺麗な水が入ってくる。それでも、これまでの汚れが残っているから、浄化作戦にも時間がかかりそう。でも、やる。しばらくはこの人の歌ばかり聞いていたい。

 浄化作戦がある程度うまくいったら、今度は別のきれいな色の水を注いでいきたい。混ざって黒くなってもいい、それが腐った水でなければいいのだ。

 そうやって、どんどん尖ろう。それが私の本分だった。

 さて、どこがどう尖っているのか、確認しなければ。どんどん吸収して、どんどん作るのだ。誰に言われなくたって、私の感性ぐらい私が守るわ、馬鹿野郎。

 

 結局、いつもの「好きなものは好き、いやなものはいやだから絶対にいや、っていう気持ちを大事にしようね!」っていう話だった。情けないことに、毎日忘れるから、毎日思い直さないと保てないのよ。

 おやすみなさい。

適切さ

 適切さ。私が憧れるものの一つ。

 どんなに憧れたところで、何が適切なのか、私にはわからない。適切かどうか、それは全て私以外の人間が評価するものだからだ。私がどんなに「これが適切だと思います」と言ったところで、他人たちに却下されれば終わりだ。そんな目に見えない尺度のことばかり気にしながら生きてきた。確かにこの皮膚の内側にある、「適切でない」気持ちを無理矢理に抑えつけながら。

 慎重にならなければいけない場面では、「きっとこれが適切だろう」と予測しながら行動する。不正解なら明確な罰が与えられるが、正解すれば罰がない代わりに報酬もない。それが人間の「普通」だけど、私が実験用のラットなら、とっくに動けなくなっているだろう。

 この世で、多数決は大きな力を持っている。そして今生きている人間はそれに適応できる人ばかりだ。淘汰されて淘汰されて、世の中は正しく尖っていく。でもまだ淘汰され切らないで、生きているのが私だ。

 反吐が出る。下痢しそう。やってられん。私はこの世に一人しかいないのに、私は私しかやれないのに(他人になれないのに)、そんな馬鹿馬鹿しいことですり減りたくない。しかし、社会と折り合いをつけないと死ぬんだろ? 社会って人間の集まりで、私も人間だから。折り合いつけるよ、わかったわかった。死なない程度の石だけを投げてもらえるように精々頑張るよ。その姿勢が適切かどうか、私には決められないから、どんなサイズの石が投げられてきても何も言えないけど。いや、どんなサイズの石が投げられても死なない程度の装甲を身につけるほうが早いな。面の皮をどんどん厚くしていこう、恥知らずになろう。内側から固い鱗がモリモリと生成されていく。表皮は鉄みたいに硬くなっていく。

 こうやってどんどん頑なに硬くなっていって、いずれ墓石が完成する。自分の体が墓標なんてかっこいいじゃないの。いいじゃん。どうせタンパク質の塊。とっとと燃え尽きよう。

 アルコール・ブーストで非常に威勢が良いですな〜!明日の朝、「うわーやっちゃった何書いてんだ私」ってなったらめちゃくちゃ面白い。どんどんやっていこう。

 

 私にできるのは、好きなものを好きと言って、つまらんことをつまらんと思って、どうしようもないときは白目むいて、中指立てて、ついでに鼻くそでもほじりながら「だから何?」と誰にも聞かれないように叫ぶことぐらいだ。

 あらまあ、随分気が小さくてかわいらしいこと。嫌なことを避けるには、気をどんどん小さくしなきゃね。五感を全部縮めないとね。この生存戦略と、この尊大な自我のバランス、もう一生とれないだろうな。どこかであと2回ぐらいクラッシュしといたほうが良い気がする。そんなの、大迷惑だし、私だって嫌だし、もう勘弁してくれよって気持ちでいっぱいだけど。

 あーあ、ここまでくるのに随分遠回りした。まだ遠回りの途中かもしれない。しかし、ゴールなんてどこにあるのかさっぱりわからない。実は遠回りのようでいて、最短コースなのかもしれない。苦行かよ。苦行だね。なんにしろ、こんな平凡な人間が、こんなにこじらせて、こんなに遠回りしても生きていられるなんて、運と環境がめちゃくちゃいいんだろうな〜。圧倒的感謝〜。

 

 あ、日記でしたね。

 最近、ようやくボディミルク的なものを導入しました。そうしたら、子供の頃に通っていたピアノ教室の先生と同じ匂いがして、大変懐かしい気持ちになりました。ちょっと茶色い紙の、楽譜をめくるときの映像が生々しく思い出されます。先生、今はお元気かしら。……そんなこと、1mmも気にならないのにとりあえず書いてしまいました。

 もっと良い匂いを嗅いで眠りたいので、好きな香水でもそのへんに振りまいておきます。おやすみなさい。

三月と桜の話、あと赤の話

 三月になったら聞く曲、というのが決まっている。曲名に思いっきり「三月」と入っているので、聞くことにしている。

 歌詞の中に「桜」がよく出てくるから、ああ、この歌詞を書いた人は関東より西の人なんだなということだけわかる。私の生まれ育った場所では、桜が咲くのは四月の下旬で、卒業や入学、出会いや別れに桜はほとんど関係ない。修学旅行に行って帰ってくる間に、桜が咲いて散っていたこともある。人間の移動と桜に関する記憶はこれだけだ。

 東京で三月を過ごしたとき、本当に桜が咲いているのに大層驚いた覚えがある。カルチャーショックと言っても過言ではない。だとすれば、ホワイトクリスマスというのもきっと、とても奇跡的でロマンチックなのだろう。「運命」という言葉が何の疑いもなく出てくる程度には。……想像がつかない。こればかりはもう仕方がない。文字通り「文化が違う」。

 それでも桜ソングは全国に流通しているし、それに連動して桜が出会いや別れと結びついている。桜ソングとわたしは全然関係ないんだなと思うと、妙な寂しさや疎外感をおぼえるが、こんな思いはおそらく北日本の人のほとんどがしている……と思いたい。いや、そうじゃなくてもいいや、私は私の寂しさと疎外感のことだけ気にすればよい。

 

 

 どうしたって赤を身に付けたい。

 これは完全に私の趣味。気づいたら、持ち物がほとんど赤くなっていた。バッグを開くと、あれもこれも赤。大きさと触覚だけで判別している。

 いつの間にこんなに赤が好きになったのか、全く覚えていない。気づいたら赤を選んでいた。遺伝性の中二病が原因かもしれない(父がとにかく中二病)。赤が妙に私の肌に映えるというのも理由の一つかもしれない。

 赤にもいろいろな種類があるので、どれが私の肌に合うのか、試行錯誤を重ねている。

 でも、ここ1年ほど、紫も気になっている。そろそろ紫の似合う人間になりたい。そんなこといったら、ドギツイ色の石が似合うようにもなりたい。まずはメイクから変えていくか。実験だ、実験だ。

 本気で挑めばできる気がするんだよなあ(こういう物言いが出るということは、ゴールまでの道筋が見えているのだ)。総力をかけて、なりたい自分になって、散るぞ。

 いつまでも、あの「赤を選ぶほかない」という気持ちを忘れないでいたい。その気持ちで、赤い服や赤いマフラー、赤いスカートや赤いワンピース、赤い靴や赤いバッグ、赤いネイルや赤いペンケース、赤い手帳や赤い日記帳を意地でも選び続けてきた。惹かれては手に入れてきた、この執着とも言える気持ちを忘れたくない。定期的に思い出すために、やっぱり今日もイヤホンを耳に入れるし、そのうちあの映画をもう一度見たいなと思ったりするし、さまざまな赤を「これは違う、これは惜しい、これはドンピシャ」と分別しながら、赤いエネルギーを己の皮膚の内側に漲らせていくのだ。

 

 

 今日、「090さんの本が欲しい。需要はある。内容は、この日記に加筆修正した感じでいい」と仰る方がいらして、私自身にも「需要があるなら供給したい」という思いがあり、少しずつ動いてみようかなと思っています。

 もし私が文章中心の本を作るとして、どういうのが読みたいですか?

 何かテーマがあれば、いくらでも私の考えや妄想を開陳しますが、どういうのがお好みですか? なんらかの通知が来る方法で教えていただければ、できるだけお応えしたいと思います。期限も特にない……と思います。

 これは市場調査のお願いでしたね。おヒマな方、強い気持ちをお持ちの方、耳打ちしてください。

 日記終わり。おやすみなさいませ。

今朝の夢の話など

 私は一人で家の中にいた。庭に知らない人がいることに気づいた。怖いので、レースのカーテン越しにじっと観察することにした。

 その人はおそらく男性で、40〜50代くらい。身長は140cmくらいで、固太りしている。短い黒髪を乱雑に撫で付け、煉瓦色の長袖のシャツ、濃い色のデニムを履いている。

 その男は、エアコンの室外機に何度も何度も体当たりを繰り返している。助走をつけては体当たり、助走をつけては体当たり。吸い寄せられるように体当たりしている。何か焦っているように見える。

 私は窓際に立ち、男を至近距離で眺めることにした。

 エアコンの室外機に、必死で体当たりし続ける男。私にはその目的がわからなくて、見ていることしかできなかった。警察に通報しようかとも思ったが、この男は室外機に体当たりしているだけで、特に実害はない。それでも、怖いものは怖いし、気持ち悪いものは気持ち悪い。どうしていいかわからない。

 気づくと男は消えていた。ほどなくして、家族が帰宅した。起きた事を説明したが、いまいちわからないようだった。

 そのうち、私はあの男が泥棒しようとしていたことに気づいた。今時の泥棒はエアコンの室外機から侵入しようとする、という話をどこかで見たのを思い出したのだ。何も起こらなくて良かったという小さな安堵の裏に、ドブ川みたいな気持ち悪さが残った。

 

……という夢を見た。

 気持ち悪かった。泥棒するにしたって、もっと地味な服があるだろうに、なぜあのゴブリンみたいなおじさんは煉瓦色にデニムなんかで来たんだ。そして、私の危機管理能力の無さときたら。

 夢の話でそんなに考え込んでも仕方ないか。ただ気持ち悪かっただけなんだ。悪夢はどこかに書くか話すかして発散するしかない。

 実は、夢占いも夢分析も全然信じてない(偉大な先生方、メンゴ。趣味じゃないだけです)。

 

 気づけば筋トレを始めて1ヶ月以上が過ぎていた。

 筋肉、嘘つかない。筋肉に言葉はないから、そもそも嘘なんてつきようがない。

 筋トレを続けてよかったことは、妙な達成感が残ること。見た目にも、ちょっとだけ、でも確かな変化が起きている。触った感じも、明らかに違う。「いままで、ここがこんなに硬かったことあった?」と毎日思う。

 ただ、特に気分が晴れたりはしない。

 運動が精神に良いのかどうか、私にはわからない。運動そのものではなく、毎日運動を続けられる環境こそが精神に良いのではないかとさえ思う。今の私は、働きながらこんなことを毎日続けられない。だから、忙しくてお金のある人はジムに通うんだろうなとも思う。

 「それこそ体力の問題だよ」なんて言われたら、もう、卵が先か鶏が先かみたいな話になってしまうから、黙る。

 黙るしかないよ。わからんことは黙るのが私なりの誠意の一つ(わからんことがどうしても気になるなら、死ぬほど調べて理解に努めることもあるが、それは誠意じゃなくて私の趣味)。

 

 あ、何も考えないと支離滅裂になっていくみたい。そう、花金とサタデーナイトフィーバーを跨いで、気分がいいだけ。曜日感覚を酒と電波で調節している段階。

 

 人が好きそうなことばかり書いてor言ってみたい衝動って、どうやったら抑えられるんだろう。たまにそういうことをしたくなって本当に困る。なんせ、そういうことすると興奮する。面白くなってしまう。めちゃくちゃ笑ってしまう。ただ、それが日常になると途端に苦しくなる。だから、日常的にやらないほうがいいと思ってる。

 つまんねえな、おもしれえな、つまんねえな、おもしれえな、を繰り返して、なりゆきで死ぬんだろうな。普通すぎて笑ってしまう。こんなに普通なのに、なんでこんなにめんどくさくってやりづらいんだろうな。

 

 あ、完全なる酔拳の使い手になっちゃってる、どうしよう。たいして威力のあるもんじゃないからいいか。Twitterに垂れ流すとものすごい量になるから、ここに全部吐き出しておこう。それに、明日にはこの文章は書けないだろうから、これでよかろう。

 気分がいいからまだ寝ないけど、形式上おやすみなさい。

なりゆきで説明をやめてしまう

 今日は、なりゆきで目が覚めて、なりゆきで朝ごはんを食べて、なりゆきでアレコレして、なりゆきでお昼ご飯を食べて、なりゆきでアレコレして、なりゆきで夕ご飯食べて、なりゆきでアレコレして、なりゆきで風呂に入って、なりゆきでアレコレして、今、なりゆきで日記を書いています。

 今日もなりゆきでした。

 私の人生、ずっとなりゆきまかせです。今後もなりゆきまかせでしょう。

 実際に何が起きて、私が何を考えて感じたとしても、「なりゆき」以外の説明なんて必要ありませんもの。何を問われようと、全部「なりゆきで……」と答えていきたいと思います。なりゆきです。明日には「なりゆき」に飽きていそうですが、それもまたなりゆきです。

 「ひょんなことから」も良いですね。

 ひょんなことからタイ料理が食べたくなりました。ひょんなことから「ああ、夏が近づいてきたのか」と感じ、ひょんなことから心の奥底に澱がたまっていきます。

 「ひょんなことから」というのは、何も起こらないのに書いてしまうと、ずいぶんと拍子抜けしますね。ひょんなことは、実は衝撃的なことなのかもしれません。

 

 なりゆきで、何も言えなくなっていました。なりゆきで、自分の感情がどんどん薄れていくことに気づきました。なりゆきで「何を見ても、何も思わない」ということが可能になりました。頭が空っぽになっていきます。なりゆきで、宇宙の終焉を想いました。一箇所に全部集まって、きゅっと消えてしまうのです。

 このままでいれば本当に心が平穏になるのなら、死ぬまでこのような心持ちで居続けることでしょう。一方で、「それはどうかな」と考えている自分もいます。というわけで現在、自分と自分で調整中です。決まらない多数決が繰り返されます。不毛です。なりゆきで、虚しい気持ちが胸に充満しています。

 他者の介入によって、多数決はどちらかに決まるかもしれません。得てして、ひとりでものを考えることは不毛なものです。しかし、しかし……わたくしは疾く微生物になりとうございます。なりゆきで。

 

 今日はめずらしく、眠剤の効きがとてもよろしい。書きながらずっとウトウトしておりました。急にどうしたの、この頭は。なりゆきですか。なりゆきですよね。何かについて説明する語彙を、どんどん切り詰めていくと適応できるのですよね。なりゆきですよね。すべてなりゆきですよね。わたくしはなりゆきにまかせます。そうして、空虚で軽薄になりましょう。

 ずっと使っていた枕を捨てるような、そんな気持ちもすべてなりゆきにまかせて、処分しましょう。説明なんて本当は要らないはずなのですから。なりゆきにまかせます。これから眠る部屋が水で満たされたような気持ちになりますが、なりゆきにまかせます。かなしい。むなしい。そうですね、たとえば全部愛にしましょう、もう、説明は必要ありません、

おやすみなさい。

スペック

 することが何もなかったから、日課以外のことは何もしなかった。

 この日課というのは、もともとは無かったし、今も無くていいはずのものだ。

 

 ここ数年で気づいた自分のスペック(?)がある。

 「一度習慣にしてしまえば、惰性で続けることができる」というものだ。

 良いことでも悪いことでも続けられる。「毎日やらないと気持ち悪い」の段階までもっていければしめたもの。「毎日やらないと気持ち悪い」にはなかなか届きにくいけれど、毎日それを行うことで報酬が得られると、続けるモチベーションが生まれる。

 報酬でやる気出る人は、正しい動物っぽくてかわいいと思う。わたしもそういう動物っぽいので、そこんとこはかわいい。また自分の趣味の話をしちゃった。

 話を元に戻……さなくてもいいや、別の方向に行こう。

 自分のスペックについて、めちゃくちゃ気づきたい。自分の装備や持ち物について気づきたい。良いか悪いかの判断はしない。それを決めるのは私じゃなくて場だから。
 ただただ、自分のサイズとか、積んでるエンジン、頭に入っているソフト、関節の可動域などを把握したい。全部ちゃんとわかったら、すごく役に立つ情報になる。何ができなくても、何ならできるのか。「自分のスペック」って、生きていくのに必要な情報の半数以上を占めているんじゃなかろうか。

 現状わかることは、身長、体重、視力、知能指数、それと惰性くらいだ。自分のことばかり考えてるのに自分のこと何も知らない。何ができるのか何もわからない。何もわからなくても生きていられる環境にあることだけはわかる。でもこれは私のスペックじゃないな。あ、「運が良い」は……不確定要素が多すぎるか。良いんだけどな。能力ではないか。

 自分のことばかり考えても、事態が好転することはほとんどないので、これはもうやめよう。気づいたら増やすだけでいいや。でも他に何考えたらいいの。世界平和とか? あほらし。世界が平和になるなら私に関係なく平和になるでしょ。そもそも私、世界平和のことは、ハロー!プロジェクトサンボマスターに全部業務委託してるから。

 

 

 誰もいないビーチに行って、火炎瓶が降ってきても、ノリノリで踊り続けられるくらいハッピーな頭になりたい。今なら少しはできる気がするけど、ここは誰もいないビーチじゃないし、火炎瓶が降ってこないもんで、検証不可能。

 もっと簡単にハッピーな頭を確認できないものか。ああ、もうハッピーな頭っぽいからいいのか。でも全然ハッピーな頭じゃねえんだな。この頭は単なるバカって言うんだ。お花畑っていうか。もっとアッパーなパッパラパーに……もっとこう……わからん。嫌だ。悲しい。急に悲しくなってきた。バカか。いやいや、バカってちょっと上に書いたじゃん、忘れたのかよ。バカだな。もう全部わからん、寝ろ。おやすみなさい。

耳鳴りとパイナップルの慣習

 バイオリンはなぜ顎に挟むようになったのか考えていたら、2月が終わりました。

 「かっこつけるため」以外に何かあるんでしょうか。
 あのサイズじゃないと出せない音があるとして、なぜ顎に挟むのでしょうか。安定感があり、楽器の状態が目視できて、片腕が自由に使えることを追求した結果でしょうか。

 大概のことは、なんとなく現状に落ち着いている気がします。慣習のことは考えても仕方ありませんね。
 これを書いてわかったことは、「でしょうか」で終わる文を続けるとちょっと怖い、ということぐらいです。質問攻めは怖いということを再確認しました。
 質問の奥になんらかの確信が見え隠れするのは怖いですね。見えないものを見てしまっただけだとしても。
 高い山を見ると「この山が実はハリボテで、こちらに向かって倒れてきたらどうしよう。街がどこからどこまで潰れて、ここら一帯のインフラが死んで、人が何人死んで……」と不安になり、あれこれ考えてしまうのですが、それに少し似ています。

 

 

 昨夜、「いい夢が見られますように」と思いながら眠ったら、本当にいい夢を見てしまいました。

 あまりにもリアル且ついい夢だったので、目が覚めて少し経ってから夢であることに気づきました。「なんで夢なんだよ!」と、がっかりしました。そのうち、夢の中で妙に思っていた箇所がいくつかあることを思い出し、「ああ、あれは確かに夢だった」と納得したのでした。

 夢って人に話すと正夢にならないって言いますよね。いや、私の親が言ってるだけかもしれませんけど。だから、怖い夢や嫌な夢の時は積極的に人に話すのですが、いい夢の時は正夢になってほしいから、できるだけ内容を話さないようにするのです。

 結果、悪夢の記憶と記録ばかりが残り、良い夢のことは忘れていきます。

 悪夢が正夢になったことは、あったかどうか思い出せません。良い夢が正夢になったかどうかも思い出せません。

 迷信ですね。悪夢は人に話せという迷信は、何のための迷信なんでしょうね。夢のせいで不当に生まれた負の感情を発散させる目的なんでしょうか。

 慣習のことは考えても仕方がないですね。でも、考え始めるとキリがなくって楽しいのです。

 

 私も、何か適当な迷信や慣習を作ろうかしら。できるだけ無害なものを。

 耳鳴りがしたらパイナップルを丸ごと逆さに干す慣習のある村。たぶんパイナップルの栽培が盛んな場所ですね。そこに伝わる迷信と言ったら、「焼き鳥の串は地面に刺すといいことがある」でしょう。村では、焼き鳥がとてもポピュラーで、住宅地はそこらじゅう焼き鳥の串まみれ、剣山みたいになっています。地面に串を刺すということは、惑星に串を刺すわけですから、これは神に守られた我々にのみ許される行為かもしれません。

 そのように村じゅうで勘違いしていますが、それは全くの迷信です。焼き鳥の串は地面に刺しても特に良いことは起こりません。また、神に守られていなくても、地面に串を刺すことはできます。

 おそらく、そう説得しても、この慣習は残るでしょう。迷信も残っていくでしょう。だから、村ではパイナップルが今日も栽培されているし、みんな焼き鳥をおいしそうに食べているし、串は地面に刺さるでしょう。

 

 あれ、無害な慣習や迷信のことだけ考えるつもりだったのですが、なんなんでしょこれは。まあいいか、勝手に出てきたものですから、そのまんまにしておきましょう。耳鳴りがしたらパイナップルを逆さに干す慣習があり、焼き鳥の串は地面に刺すと良いことがあるという迷信があります。他にもたくさん考えましょう。

 でも、睡眠優先です。今夜も良い夢が見たいです。おやすみなさい。