お祈りの時間

朝起きたらうねってる髪の毛全部ストーーーンってなってないかなー!!ストーーーンついでに良い感じのパーマかかってないかなー!傷んだ髪が全部綺麗になってないかなー!髪の毛と眉毛とまつ毛以外の毛が綺麗に消えてないかなー!全身加工したみたいに綺麗な肌になってないかなー!!体が横に5cmぐらい狭まってないかなー!顔がふた回りぐらい小さくなってないかなー!目だけほんの少し大きくなってないかなー!手足が若干伸びないかなー!手の皮の剥けてるところが治ってないかなー!

欲は尽きないけどよ〜!自分でなんとかできるところはなんとかするからよ〜!!頼んだぜ人知を超えた何か!!私は寝るからよ!!!

不詳

いろんなものがはっきりしない人間になったら面白いんじゃないかと思って、年齢不詳性別不詳みたいな感じで、もはや個人不詳になりたくて。誰だかわかんない人。

もう疲れてしまって。名前などがあるのに疲れてしまって。ファミレスの順番待ちの紙に名前書くのもいやになってしまって。名乗りたくもなくて、個人として認識されたくなくて。

私はまだ自分のことがそんなに嫌いなのかと思うに至り、面倒になる。嫌いというより、後ろめたいのかも。私じゃなきゃもっと私のこと人間扱いしてやれんじゃないのか。でもこんなこと考えたってどうにもならん。あんまり自分のこと許してない感じがする。何か悪いことしたのか記憶を辿ってみても思い当たることがありすぎて、というか私は毎日私にそういうやり方で悪さをしているから「悪いことしたかしら」なんて言ってる間にも対立は深まる。謝って許せるほどの関係でもなくなってしまった。謝るくらいならやめろと言うしかない。どこにいても居心地悪いのは自分のせいだと思う。

気絶してるのかもしれない

疲れた疲れた何も覚えてない、なんも。私は今日何かをしたっけ、良いことや悪いこと、正しいことや正しくないこと。

どうしよう、なんにも覚えていない。働いている時の記憶がほとんどない。尋常じゃなく忙しいせいだろうか、それなのに(だからこそ?)夜に寝てしまうのが勿体なくて結局五時間ぐらいしか寝ていない私が悪いのか。両方。全部。なにもかも悪い。こう書くとものすごく世界を恨んでいる人に見えると思うが、そしてそれはその通りなんだろうが、全部自分のせいにする不毛な視野狭窄を防ぐ策である。一度、自分含むありとあらゆるもののせいにすると何をどう動かすべきか自分が何をすべきで何をしなくてもよいのか考えやすくなるのである。

まあそれはいいとして。

そりゃあ労働中のことなんて覚えていないのが一番良いに決まっている。だからいいの、なんも覚えてなくていいの。ただ、すごく疲れてるんじゃないかって自覚しそうになるのがちょっと虚しいだけ。

枝豆ちゃん

お腹すいた。枝豆食べたい。

初めて枝豆を塩茹でにした人は天才だ。月並みな言い方だけどそうとしか言いようがない。気づくとあんなにたくさんの枝豆が胃の中に入っているんだ。たくさんのビールと一緒に。そんなものを生み出した人は天才だ。しかし枝豆界では悪魔扱いだ。私が枝豆なら、いつ自分が憂き目にあうか考えて枕を濡らす日々だ。塩茹でにされるぐらいなら早く死にたい、とか言って。あるいは、推しが塩茹でにされるぐらいなら私が茹でられた方がマシだ、とか言って。

今だって私は眠る気がない

やっべぇやっべぇ、頭が重い。ふらふらする。こんなにおかしいからにはきっと今日の私は炎天下で運動会の練習でもしていたのよ。きっとそう。

私、あんまり保健室を使ったことがない。膝を擦りむいたとか、発熱しているとき以外は行っていない。保健室に行くのはとんでもなく面倒なことだと思い込んでいた。先生に「具合が悪いので保健室に行きます」って言うことが本当に難しくて、そんなことするぐらいなら多少具合悪くても動きたくなかった。仮病だと思われたらどうしようとか、目立ちたくないとか、そういう理由もあった。

何よりも、人はどこまでいったら保健室に行っても許されるのかがわからなかった。頭が痛いのは日常茶飯事で、気分が甚だしく悪いのはデフォルトで。妙に体が丈夫だと思い込んでいたが、実のところは痛い苦しいの閾値がわからなくなっていた、かもしれない。かもしれないというだけ。だって、それはそれで変なのだ。学校から帰って泣き喚き散らして死にたがったことが何度あっただろう。それが一体何の発露かわからなかったのが問題だった、かもしれない。かもしれないというだけ。

これが現在まで続く「休み方を知らない」問題に発展していったわけだ。もうなりふり構っていられなくなったからなんでもできるようになったが、無理しても良いことなんてないわね。あったかね。あったかしらね。

小さなことのくりかえし

凹むことが多々あり、凹む。皮膚の内側の私が癇癪を起こしている。なんでこんなことばっかり、私なんて普通に生きることも許されないんだ、と叫んでいる。それがそのまま口から出ていかないようにする。そうすると次の癇癪はもっと大きくなる。癇癪がとても大きくなっていて私はそろそろ耐えられない。オギャーオギャー。私はこいつを虐待する。自分の口から出ようとしている自分を。

例えばなにかをとても便利に使ってこれをおさめたとして、じゃあ今度はどうする。次はどうする。楽しいことってもうこの世にないのだろうか、もうあとはつらいだけで……と、どうしても考えがち。凹んでいるのである。それ以外のこと何も考えられない。もう楽しいことはないんじゃないかな、なんにも……。

すこやかのやり方がわからん

やる気のないことを認め、受け入れ、素直に「やる気がない」を実行している私はたいへん真面目である。

そろそろ遊びたいなって、今月も散々遊んだくせに何を言ってるのかさっぱりわからないが、思ったのである。いろんな遊びがある。飽きずに一つずつやれば命はすぐ尽きるんじゃないかと、期待して、いろいろ遊びまわったがなんと不思議なことに時間の流れが全て等間隔に感じるようになった。困ったな。あんまりいろんなものをそのまま認識しないように頑張っているはずなのに、そうしないと健康に暮らせないのにどうしたらいいのだろう。