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合いの手

 暑くなってきたのと邪魔になってきたのとで、髪を切った。バッサリいったので、だいぶすっきりした。切りすぎた感じもする。そのうち伸びるし、慣れるよね。

 

 そういえば高校生ぐらいの時、髪の毛をバッサリ切って登校したら、いろんな人に「失恋した!?」「イメチェン!?」と訊かれまくった。「いや、邪魔になってきたから切った」と答えた。

 この人たち、なんでそんなこといちいち訊くんだろう、なんで「髪を切る=失恋」なんだろう。イメチェンだとしてそれがなんなんだろう。当時の私はずっとそんなことばかり考えて、他人を気持ち悪く思ったりしていた(いつものこと)。

 

 今思えばあの「失恋した!?」「イメチェン!?」って、合いの手みたいなもんなんだろうなあ。

 他人が髪の毛を切る理由なんて世界一どうでもいいことだろうし、おそらく彼女たちは私が髪を切った理由を知りたかったわけじゃない。私が失恋したのか、イメチェンしようとしたのかなんて興味がなかったに違いない。「おっ、アイツ髪切ってきた。とりあえず言っておけ」のノリだったんだろう。

 それに付き合ってやれるほどの技量と気力と体力が当時の私には無かった。そして今もない。「あはは」って笑って流すだけならできるかもしれない。しかし、想像しただけで怠い。フラッシュモブに巻き込まれるのと何が違うんだろう……。

 

 こういう「合いの手」って、疑問形になっているものが多い気がする。しかも、質問しておいて答えが必要ないパターンが多い。

 本当に答えが欲しいのか、疑問形の合いの手というだけなのか。正直言って区別がつかない。

 全部いちいち真面目に答えて後悔したことが何度もあるので、最近は本当のことなんてほとんど言わなくなった。それでいいのだ。本当のことなんて一つも面白くないんだから。

 合いの手を入れることは、行為そのものが楽しいタイプの音ゲーなので、巻き込まれた私がするべきことはただ一つ。good!とかperfect!とかの評価を態度でオーバーに示すだけ。

 そして結局私は何一つ面白くない。消耗するだけ。合いの手をいきなり打たれて、なけなしの愛想ふりまいて、ヘトヘトになるだけ。気持ち悪くなるだけ。うんざりするだけ。

 

 人間に向いてねえ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

 ピカチュウになります!!!!!!!!!

 

ペーーーーッ!!!!!

カーーーーーーーーーッ!!!!!!!!

ヂャアアアアアアアアアアアアアアーーーーーーーーーーーーーーーーッ!!!!!!!

 

 というわけで、ピカチュウになりました。おやすみなさい。

 

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予測変換

 誰かが音声で「は」と発すると、私は「『はやく』と言われるに違いない」と自動的に思って身構えることがわかった。

 この感じ、何かにすごく似ている。もちろん、これは例えば、誰かが手を振り上げたら殴られる気がして目をつぶってしまうのと同じなんだろう。言ってしまえば、ある種の学習、反射だとは思う。あるいは、ある種の認知の歪みかもしれない(歪んでいない認知なんて存在するのかよ)。

 しかし、それではしっくりこない。正しくてもしっくりこないのだ。

 それなら、私は最初、何に似ていると思ったのか。頭の中のバケツに手を突っ込んで慎重に搔き回す。しかし出てこない。諦めて風呂に入っていたら、急にビビッときた。

 

 「予測変換」。これだ。

 「は」と入力された時の私の予測変換は「はやく」だったのだ。

 

 この現象を「予測変換」と捉えると、すごくわかりやすい。

 つまり、私は今まで散々音声で「はやく」と入力され続けたので、「は」と入力されたら予測変換で「はやく」が出てくる。別の候補があっても、まず先頭に「はやく」が表示されるのだ。

 これがわかったので、芋づる式にいろいろなことがわかる。

 例えば、私は今までずっと誰かに急かされていたし、急かさなければならない立場にさせていたんだ、ということ。

 例えば、他人に「はやく」と入力されまくるほど動きが鈍いということ。

 例えば、急かされるのは嫌いだけど、人を待たせるのもつらい、ということ。

 他にも、私は「はやく」動けたらさらに有益な人間になれるかもしれないということとか、世の中の人はせっかちだなあとか、「はやく」と言われることと辛い体験が頭の中でつながっているんだなあとか。いろんなことがわかる。

 一番大きな収穫は、私は他人に「はやく」と入力され、それを学習して、予測変換に「は」と入力すれば「はやく」が出るようになったくらいには、他人にカスタマイズされているのだということ。しかも、他人に使いやすいようにカスタマイズされているのだ。私というデバイスとOSを使って、他人は私に入力する。そういう存在なんだ。他人というのはそういうことができる存在なのだ。

 私をカスタマイズしてるのは誰だ。やめろ。

 

 「予測変換」って言葉で説明することにすると、他人との会話が少し面白くなりそう。相手の予測変換に変な言葉を残すもよし、相手の予測変換を予測するもよし。

 ただ、趣味悪いからあんまりやりたくない。私が勝手にカスタマイズしていい存在なんてこの世のどこにもなさそう。「カスタマイズしてください!」って言われたらやらなくもないけど。

 他人をカスタマイズするのが好き、或いは無意識に得意な人っていうのも一定層いる感じがする。関わりたくない。も〜、私の予測変換をハックするんじゃありません! めっ! 寝なさい。

後の祭り

 また楽しみが一つ終わっちゃった。これだけのために最近生きてたと言っても過言ではない。今、本当にまさに今この瞬間からどうやって生きていこう。虚しい虚しい。

 日常に戻るくらいなら帰り道で死んだほうがマシ、なんだけど、わたしは怠惰だから、戻らない努力も死ぬ努力もしない。やる気ない。だって、自分のベッドに帰って寝ないと気が済まないんだもの。帰れるときは帰らないとソワソワして仕方ないんだもの。乗車券なんて、安いからって理由で往復券を買っちゃったから、もともと帰る気満々。

 こういうときは、「私が旅行したり遊びに行ったりしてるわけじゃないんだ。座標が動いてるだけ、私はただの点で、その位置が変わっているだけなんだ」と言い聞かせることに全てを賭ける。或いは、「私がずっとここにいることにしても、また生活がここまで追いかけてきて私にのしかかるだけだ」と、わかったようなことを考える。

 現実逃避ってこういうことだと思う。

 

 そんなこと考えるくらいなら、夜の車窓に映った自分の横顔でも眺めていたほうが気分はマシかもしれない。空の暗さが良いアラ隠しになる。あとはイヤホンでもつけて、2〜3年前によく聴いていた曲でも聴けばいい。ついでに、こんな日は深夜のコンビニの前で缶チューハイでも飲みながらボーッとしたい。ゴミはゴミ箱へ。

 それか、例えば「貸して」って絶対に言いたくなかったから買い集めたCDのこととか、ほとんど反射で話しているから「すごいね」「大変じゃん」みたいな相槌でさえも本当なのか嘘なのか自分でもわからないんだってこととか、向かいに座っているお姉さんの脚の白さのこととか、思いついたことを思いついただけ考えていればいい。許されるなら、寝て起きて、こんなこと考えて、また寝て、ちょっと起きてボーッとして、また寝て起きて考えて、また寝て……みたいな生活をしたい。って、引け目を全く感じないで思いたい。

 

 上に書いたようなこと、やりたきゃ好きなだけやればいいよ。どれもこれも人生のアラ隠しだもん。全ての楽しみは人生のアラ隠し。誤魔化すのも技術のうちだ。

  毎日楽しい人って、そんなにいるのかしら。

 

 ほら、外を見てみろ。まだ間に合う。帰らないならまだ間に合う。例えばあの電車に乗らなきゃいい。そこらへんのビジネスホテルに飛び込んで空き部屋に泊まればいい。無理ならファミレスに一晩いればいい、ネカフェに泊まればいい。今日はわりとお金を持ってきたし、日本語だって日常会話程度ならできるし、できるんだよ。ほら。

 なんてことを考えつつ、ラジオから流れるお洒落な音楽を聴いてボーッとしていたら、あれよあれよと今日も無事帰宅。いやー。足がむくんでる。日焼けが心配。お風呂サイコー、ベッドサイコー。

 家ってめっちゃいい。iPhoneの充電もできるしPCもあるし、水飲み放題、トイレ使い放題、お風呂使い放題、猫様拝み放題、床とベッド転がり放題、冷蔵庫使い放題で、一人の空間も確保されててWi-Fi付きなんて超ハッピーだよねー。

 しかもアメニティがヤバい。タオルとドライヤーがあるし、シャンプーもコンディショナーもトリートメントもボディーソープも化粧水も乳液もパックもヘアブラシもあるんだよ。しかも全部自分の体質に合ってる。死ぬほど便利かよ。チェックアウトの時間もわりと自由だし。これだから家はやめらんないよ。

 

 怠惰ってバカで本当に面白いよね。

快をチヤホヤして持て囃して讃える

 今日は絶対に早く寝る今日は絶対に早く寝る。私にとっての「早く寝る」は、0時前に眠ること。

 個人的には7時間半眠れたら一番いいけれど、最近は5時間半で目覚めることが多い。5時間半で目覚めた場合は二度寝を楽しむ。

 

 最近、二度寝の快楽に気づいてしまった。二度寝するためには予定よりも早起きすることが必須条件になるのだが、勝手に目が覚めてしまうのだから自動的に条件が満たされる。

 あ、まだ眠れる、しかも1時間も……。そういうときに時間の使い方を自分で決められる贅沢さが身にしみる。1時間二度寝する。あるいは、30分間はゴロゴロしながらスマホでゲームして、残りの30分を二度寝に費やす。5分ごとにかけているアラームを最後の1つ以外全部消してチキンレースを楽しむ。こんなこと考える暇もなく二度寝することもある。

 まあとにかく二度寝なんだ。二度寝。眠って、起きて、また少し寝るだけのことを「二度寝」と呼ぶくらいなのだから、二度寝はそれなりに王道の快楽なのだろう。王道には王道になるだけの理由がある。たくさんの人が「良い」と思って何度も何度も繰り返したことが「王道」と呼ばれるのだ。二度寝は王道。

 

 そういえば、ここ数年で自覚したことだが、私は結構眠りが浅いほうらしい。だから変な夢もたくさん見て、たくさん覚えている。夜中に地震があれば、小さな揺れでもすぐ目が覚める。そしてあっさりとまた眠る。

 二十歳を過ぎたくらいから、「目を閉じたら一瞬で朝だった」という経験が特に減った。あまりにも疲れた日の翌朝ぐらいしか「よく寝た!」という気持ちになれない。薬を使ってもあまりサッパリとした目覚めにならない。

 ただ、最近、あまりに疲れた日があって、その翌朝は非常に気持ちよく目がさめた。さっきまで明らかに深く深く眠っていたとわかる、あの感覚は本当に謎だ。青っぽい色の匂いを嗅いだ時みたいなサッパリ感、潔さを感じる。「あ、今日はもう二度寝いらないです」と心の底から思えるような目覚め。

 

 こんなもの、全部錯覚だよね。全部錯覚。錯覚なんだ。錯覚で、毎日毎日、サッパリしたりスッキリしたりシャッキリしたりするんだ。錯覚で、毎日毎日つらかったり苦しかったり楽しかったり嬉しかったりするんだ。

 確かに錯覚なんだけど、錯覚だとしても、己の不快さは減らして、己の快だけを大切に大切にチヤホヤしていきたい。チヤホヤして持て囃して讃える。

 

 そうそう、己の快を大切にしてチヤホヤするために、今夜は早く眠るんだった。明日は思いっきり己の快をチヤホヤするし、持て囃すし、讃えるぞ。世界の延長を、本日のみ、私が許可する。明日がなくなったら悔しい日がまだここにある。悔しさは錯覚かもしれないけど、錯覚でも嫌なものは嫌だ!

 ああ、二度寝は快だけど、明日はチヤホヤできないのだった。だから今日は絶対早く寝たかったのだ。すべては、明日の別の快を確実にチヤホヤするため。おやすみなさい。

星々

 今日本当に頭がずっと痛くて吐き気もすごくてやばくて疲れて本当に明日も生きていけんのか?死ぬのでは?とか思っていたんですが、ものすごいミラクルハピネスQOL爆上げ覚せい剤系ドンドコパフパフシャンシャンシャン奇跡ミラクル実在非実在爆弾が投下されて、全部吹っ飛んだ。

 

この世には、奇跡があるんですよ。

あるんです。

あるんですよ。ありました。さっき、この目で見て耳で聞いて心で感知しました。

 

 奇跡が目の前に現れたとき、この私にさえも与えられたとき、私がやるべきことはただひとつ。奇跡の存在を信じること、どんなに嘘っぽくても奇跡が起きたことを真っ先に認めること。私が疑っている間に奇跡がどっかに行っちゃったら悔しいですものね。

 そして、すぐさま全身全霊でしゃぶり尽くすことです。私の場合、まず最初に食べます。手づかみで食べます。私の血と肉と骨になることを本気で願って奇跡を食べます。骨の髄まで。どんなに歯が欠けても、唇が裂けても顔が汚れても舌がおかしくなっても。

 血となり肉となり骨となるまで貪ったら、一旦冷静になります。

「これ現実? 非実在現実なのでは?」

「私はもう死んでいるのではないか」

「もしやこの頭が狂ったのではないか、この世にないものが感じられているだけなのでは」

 どう考えてみても、頬をつねってみても、誰かに確認しても、課金が済んだというメールが届いても信じられないことというのはこの世に本当にあるのです。

 今でもこの奇跡が信じられないままでいるのは、今までずーーーーーーーーーーーーーーーーーーっとこの奇跡を待ち望んでいたのに、一向に与えられなかったからです。

 例えば、昨日まで無かった一億円が、今日突然もらえたら、いろんなことを疑うと思います。これはドッキリなのでは、これはヤバい金なのでは、罠なのでは、と。

 しかし、何度確認してもあるのです。動画、ある。音源、もう買えた。聞いてる。ある。奇跡めっちゃある。奇跡、奇跡なんてそんなチャチな言葉じゃないよ!!!!!これはもう!!!!!!!爆弾だよ!!!!!!!しかも、ある種の人々が全員幸せになったり瀕死になったりする飴の爆弾ですよ。

 あ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜これ本当に無限に聞ける、何度も聞けて見られる奇跡、やばい、やばいなあ。ああ……。

 何年待ったと思ってる。ごめん、嘘。待ってたのは本当なんだけど、もう何年待たされてもいいから、いっそ10年後でもいいからって思ってたの。わたしが生きてるうちは、ずっと待てる。本当に、そう思っていたんですよ。

 そしたらもう、こんなすぐくるじゃんあ〜〜〜〜もう、あ〜〜〜〜〜もう、あ〜………これは……シャブですわ……。奇跡とかそんなチャチなもんじゃないよ。ごめん。奇跡はチャチじゃないよね。奇跡ごめん。

 これは奇跡のその先の、なんか……。例えば救いのようなものであり、地球人がたどり着けそうもない宇宙の果ての星たちのあらゆる界で一番鮮烈で美しいきらめきの一刹那、です。急にポエみはじめるの、頭おかしいですけど、頭がおかしくなったんですよ。

 

 とにかく、この数十分で、最近で一番元気になりました。今、この一瞬だけは五月にも梅雨にも全然勝てそうなくらい元気です。ありがとう。いろんなところに、ありがとうのお金とお手紙を用意したい気持ち。幸せだから態度(金と数字)で示すんだ。時間は流れるものだから。おやすみなさい。

勝手に年の瀬を迎える

 お昼に外に出たら、なぜか「今年ももう終わりかあ〜」という気持ちになってしまった。まだ五月なのに私の頭は何を勘違いしたのだろう。

 しかし通常の半分サイズの一年もいいなあと思う。一月から五月で大体冬、秋、春、夏が体感できるような気温差があるし、コンパクトでかわいい。

 そう考えると、だんだんこれでいい気がしてきた。一年は5ヶ月でよかったんだ。12ヶ月は長すぎたんだ。今年も頑張ったなあ〜。だいぶ頑張ったなあ。

 カレンダーはあと7枚残っていて、ほっといても今から梅雨になって夏になって秋が来て冬になるんだろう。よし、ほっとこう。私はほっとく。

 

 すっかり年の瀬だなあ。鈴の音も鐘の音もしない年の瀬。楽だ。穏やかでいいな。ゆっくりしよう。好きな曲でも聞いてゴロゴロしよう。サービス全部やめよう、年末だし。年始はいつか知らないけど、とりあえず今は年末だから。

 そういや今朝の夢が最悪だった。目の前で女の人が車と車の間に立ったまま挟まれて、ギュウギュウになって、めっちゃ叫んでる夢。初夢じゃなくてよかったなあ。というか、夢でよかった。

 年の瀬っぽく大掃除でも……と思ったけど、この間やったばっかりだった。やっぱり年の瀬じゃないか。

 

 一人年の瀬ごっこ、結構虚しいけど楽しい。

 今、世界中で勝手に年の瀬を迎えている人間は他にどれくらいいるのだろう。私は非常に平凡な人間なので、同じような人間はたくさんいるはずで、今日の昼にふと「もう今年も終わりだな」と勘違いした人が数千、数万単位でいるはずだ。

 仮に数万人が今日「もう今年も終わりだな」と思っていたとしたら。……みんなでもう今年、終わろうよ。いけるって。絶対大丈夫だよ。今日で今年を終えた気持ちの人、バチカン市国の人口よりもたくさんいるよ。たぶんいける。

 個人的には、リアル年の瀬の12月31日までずっと無の時間を過ごしたい。本当は死ぬまで無の時間でいいんだけど、たぶん飽きる。12月31日で一旦、世間と足並みをそろえて、そこからまた5ヶ月やって、7ヶ月休みたい。

 こんなの、遊んで暮らしたいっていうのとほとんど同義か。遊んで暮らしたいことに間違いはない。暮らしを遊びの範囲に止めておきたい。理想を言うなら、『アリとキリギリス』のキリギリス路線を完全に突っ走っていきたい。悲しいことに、もうアリにはなれそうもないから。ああ、キリギリスにもなれなさそうだなあ。人間だもんな。

 

 というわけで、今日で一旦今年を終えることにした。明日は別に新年じゃないから、「あけましておめでとうございます」とか絶対に言わない。ついでに、こんな話をオフラインの誰にしても「は?」「バカじゃないの?」としか言われないだろうから、日記に書くにとどめる。良いお年を。

計画性がない話

 計画性が本当にない、というか見通しを立てる能力が皆無なのに、無駄に勢いだけがあるせいで、人生が虫歯だらけだ。いつの間にかできてて、気づいた時にはめちゃくちゃ痛い虫歯。治療法は時間の経過だけ。銀歯になるのを待てるだろうか。最終手段は抜歯。

 

 見通しを立てる能力、めっちゃ欲しかった……。最近ようやく、明らかに「見通しを立てる能力」が欠けていることを自覚しはじめた。

 いや、欠けているというよりかは、想定される行く末が何パターンも思い浮かびすぎて、しかも全部ありえそうだから、身動きが取れなくなってしまうのだ。

 身動きが取れなくなった後の行動は二通りしかない。「何もしない」か、「どうなってもいいからやる」か。

 「どうなってもいいからやる」を選び続けたらここまで流れ着いた。運が良いんだか悪いんだかわからないけれど、こうやって生きたまま遭難し続けている。

 目の前のことにいちいちびっくりしたり感動したり、喜んだり怒ったり、テンションが上がったりして、その態度を自分でコントロールすることができない。自分で自分に流されて完全に遭難している。

 現在、救助の見通しはついていない。

 最近はもう救助も諦めていて、そもそも救助が必要なんだろうか、ほっとけばそのうち死んじゃうだろうし、このまま流されていくのも人生かもなあ……なんてぼんやりと考えている。運良いから、私が気づいていないだけで、すでに救助されている可能性さえあるし。

 

 行き当たりばったりの性質を、この流れで見せつけてしまった……。なんの話だっけ。ああ、計画性がないって話だ。ある意味わかりやすく例示してしまった。

 

 「こうすればこうなるはずだ」が本当に推測しがたい。それは今まで、あまりにも因果に無頓着だったからかもしれない。

 だから最近では実験することにしている。これを毎日続けたらどう変化するか、こんな言い方したらどんな返事が来るか、テンションを合わせるとどうなるか、日常会話は笑うだけで本当にごまかせるのか、どれくらいの時間をかけるとどんな人の対応が変わるのか。

 記録なんてしていないけれど、「おっ、今日はこうなったか」「こうするとこうなるんだ」なんて思いながら生活している。さながらアサガオの観察日記だ。昔していた勉強が役に立ったりもして、実験生活は楽しい。何より、自分にとって有益かもしれなくてわくわくする。極めたら技術になるだろうし。

 最近とみに思うけれど、新しい技術の習得は、趣味を一つ増やすことと似ている。いや、逆かなあ。趣味が一つ増えると、新しい技術が増えるのかなあ。

 そこの因果は、やっぱりまだよくわからないのだ。なんせ無頓着なもので。