美味しいワインをしこたま飲みたい

今日は、暇さえあればずっと「赤でも白でもいい、ロゼでもスパークリングでもシャンパンでもいい、とにかく美味しいワインをしこたま飲みたい。焼いた野菜と分厚い肉を軽く食べながら」と考えていた(チーズは好きだけど敢えて避けた)。

手が勝手に情報収集を始めて、ついうっかり面白いお店を見つけてしまい、夢想が始まる。はぁ〜、ここのワイン飲みたい。ここに行ってワイン飲みたい。夕食をどこかの小洒落た店で食べて、そこで軽くビールを飲んでから、22時くらいにここのお店に移動して、しこたまワインを飲むんだ……珍味を食べながら……。

そのうち、完全に妄想の世界に入り込んでしまって、本当にそこのお店に行って美味しいワインを飲んだような高揚感が湧いてきて、頭が痺れるような感覚に包まれた。

でもそのお店、東京にあるんだよね〜。はい死〜。あぁ〜もうそこの店じゃなくていいから、とにかく美味しいワインをしこたま飲みたいよ〜飲み倒したいよ〜。写真見て妄想するだけでこんなにたまらない気持ちになるんだから、今すぐワインを飲みに行きたいよ〜。あぁ〜。サングリアも飲みたいよ〜美味しいんだよ〜。名前も知らないような場所で作られた、新種の美味しさのワインが飲みたいよ〜。あぁ〜。

 

こんなに書いているけれど、ワインが特別好きという程でもない。ワインに関する知識や蘊蓄を一つも持っていないのがその証拠だ。私は、特別好きなことに関しては知識や蘊蓄をいくつも持ってしまう。よって、蘊蓄を持っていない時点で、ワインそのものにはそこまで興味がないということになる。

それでも、ごくごく稀に、死ぬほど美味しいワインを飲んでしまったりすると「これを一本持って帰りたい!絶対に!!」と思う。結局、リアルなお値段がわからないし、聞く勇気もないので、その夢は常に叶わないのだが。

ここ数ヶ月、二日酔いが嫌で、日常的に飲酒することもめっきり無くなった。それなのに、今、こんなにも美味しいワインが飲みたい。

夢想しているだけならお金がかからないし、翌日に怠くなることもないし、一番いいんだろう。それはわかる。

でも、私には身体がある。このどうしようもない、人間になるには早すぎたような、卵割の途中で出てきたかのような自分が、物としてここにある。だったらそこに直接、美味しいワインを流し込まなきゃ意味ないだろ!

ウワーン!酒が飲みたいんじゃなくて、ワインが飲みたいんじゃなくて、美味しいワインが飲みたいです!焼いた野菜と焼いた分厚い肉(牛か鴨か鹿!!あーいっそジビエ!!!)をちょこっと食べながら、美味しいワインを次々と飲み干していきたいです!!

今日はそんなピュアな気持ちで過ごした。

普段の自分に暇を出す/最高の夏

普段行かないようなところに行ったり、普段やらないことをやったりした。普段と違うところに寝泊まりして、普段と違う風呂に入って、普段と違う寝起き。普段と違う人たちと、普段話さないようなことを話す。普段なら目もくれないようなものに金を払ったり、普段乗らない乗り物に乗ったり、普段しないような格好をしたり、普段食べないものを食べたり。とにかく普段やらないことをやりまくった三日間だった。

数日前は、今頃体力が枯渇して倒れこんでいる予定だったけれど、そんなこともなかった。たくさん食べて話して歩いて、とにかく様々なものごとを身体に詰め込んだ。お腹もふくらはぎも頭もパンパンになっている。

その代わり、心がからっぽになった。言い表すとしたら、虚無でも空虚でもなくて、キャッシュを削除したようなイメージ。キャッシュを削除して、心が綺麗さっぱり。

 

普段と違うことをするというのは、普段の自分に暇を出すことだと思う。

「暇を出す」って、複雑な言葉なのだけれど、意味は概ね二つらしい。

dictionary.goo.ne.jp

goo国語辞書さん、いつもお世話になっています。ありがとうございます。

ここでいう「普段の自分に暇を出す」は、普段の自分に休暇を与えることでもいいし、使用人(「普段」そのものに仕えている自分のことだろうね)などをやめさせる、ということでもいい。どっちでも同じことだから。感覚的には後者のほうが近い。

普段と違うことをやっているとき、普段の自分はどうしても消えてしまう。身体は一つしかないから、いつもやっていることもあまりできない。日記の文字数だって少なくなる(書いてる時間がないから*1)。

普段と違うことをやるとたくさんの注意がそちらに向けられるから、たとえば生活のために仕方なしにやっている諸々のことも綺麗さっぱり忘れてしまう。スマホを触るのは、それこそ写真を撮るか、GoogleMapを開くか、近くの飲食店を探すときにしか使わない。本作りのこととか完全に忘れてた。

なんだか、「普段の自分」に疲れていたみたい。疲れるような「普段の自分」をやめるのが一番いいんだけど、やめようとしてもずるずると続いていってしまう。怠惰だね〜。やめるのって体力いるもの。

でも、この週末でキャッシュ削除したし、また新しく「普段」を作っていこうかな〜という気持ちには……まだなれないなあ。でもでも、かなりリフレッシュした! と、思う。日常にあったはずのあらゆる嫌なことがうまく思い出せない。なにか嫌なこと、あったっけな。忘れちゃった。忘れちゃっていいんだよ〜思い出さなくていいんだよ〜全部消してこ!

兎にも角にも、普段の自分に暇を出すことって私には大事。日常と日常の間に必ず非日常を挟まないと死んじゃう病だと思っていたけれど、これは「病気」じゃなくて「私のやりかた」だったようだ。my wayってやつ。

 

というわけで、友人たちと小旅行して、サングラスかけて猥雑な繁華街を闊歩して*2、いろいろ見て、飲んで、食べて、車運転して、喋って喋って、海に行って、優勝しました。最高の夏にした。

私は、最高の夏にしたからな。

*1:普段の生活をしているときでも、単に疲れていてたくさん書けないこともある。これもまた「身体は一つしかない」案件に含めていいと思う。

*2:これ自体はこちらの記事でもやりたいって書いてた。この時思ってたイメージと完全に合致したのでやっぱり優勝。やったらできんじゃん。やったわ。

一日で、山と海、生の祈りと死の祈りを何度も往復した。

事務的であることと人為的であることの違いを考えておかなければと思った。

特別古いものを見たので頭がぼんやりしている。ちょっと怖いものを見た気がする。あれを怖いと思うのが、良いのか悪いのか、正しいのかおかしいのか全くわからない。なんでもいいんだけど。

私みたいなぼんやりした人間でもこの歳まで生きられるんだから、現代はかなり平和みたいだ。

潮の匂いがいつまでも鼻に残っている。海は広くて、ずっと見ていられる。海にはツッコミの余地がたくさん残されている。側に佇んでボーッとしているだけで気が楽になる。こっちは立ってるだけで、何も言わなくていいから簡単だ。海だってたぶん特別古いもののはず。やっぱり素直に人が怖い。

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省電力モード

電車に乗った。座席を求めて車内を見渡すと、6人座れそうなところに3人しか座っていない区画があった。あれ、空いてるじゃんと思って、そこに座った。ずいぶん酸っぱいにおいが充満しているところだった。私より先にそこに座っていた人たちは、ただ疲れているだけにしか見えなかった。ほとんどの人たちがここをわざわざ避けた。そういう人たちの近くに座ってはいけない特別な事情があるのかしら。そういう暗黙の了解みたいなのがあるのかな。知らなかった。どいつもこいつも鼻なんてつけてるだけ無駄じゃない?まあいいや、座れたからラッキーなのである。

初対面の人にもわかるほど私の身体、それから魂は貧弱らしい。そういう風に見せるのが板についている、と。わかんないふりしておくほうがそれらしいかしら。幾度となくこういうことを繰り返してようやく、私は他人の鏡なんだなあと思い至る。板についているみたいなので、そういう感じでいこう。

仕様

頭の中で、なぜか「迷惑電話(文字、言葉そのもの)」と「6歳女児の濡れたスクール水着姿(絵面)」が紐付いていることに気づいてしまった。「迷惑電話」と見たり聞いたりすると、何故か頭の中に6歳女児の濡れたスクール水着姿のイメージが浮かぶ。なんで。なんでそこ連合してんの。全然心当たりがない。なんで。

どっちも別にそんなに好きじゃない。私にとってはいわゆる中性刺激のはずなんだけど、なんかあるのかな。なんで。そこなんで連合しちゃってんの。全然意味わかんないな。

初代ポケモンのバグ技みたいだ。「道具」の上から7番目?でセレクトボタンを何回か押して、ボロいつりざおでニョロモだかコイキングだかを釣ると……どうなるんだっけ?レベル100になるんだっけ?ミュウが出るんだっけ?忘れちゃった。

バグって言っても仕様みたいなもんだ。直せないもの。ポケモンのバグ技みたいに、脈絡のない脳の弄り方をしたら、迷惑電話から6歳女児の濡れたスクール水着姿が出現したんだ。そういう仕様なんだ。これに気づいたのだから凄いよね。ファミ通に投稿しようかな?それとも小学生に言いふらして都市伝説みたいにしてもらおうかな。内容的に通報されそうだけど。

面倒のバランス

これ完全に自慢だけど、「今わたしデスロードやってるんだ〜これこれこういうスケジュールで完全に自業自得ガハハ」と話したら「ほどほどにしなね」って言ってくれる友だちが私にはいまーーーす!!!!! すごいっしょ!!

その「ほどほどにしなね」があまりにも不意打ちすぎて、「ほんとにありがてえ……ありがとう……ウゥッ、フワフワァ〜」ってなった。脳の凝りがほぐれたような感覚。私が求めていたのはこの言葉だったのかな。

こういうことかっ、人の温かさってのは〜!って富野節で叫んだ(心の中で)。次会う時にビール持ってこ。

 

こういう友人がいることは、私にしては本当にすごいことだと思う。もう10年くらい面倒見てくれてありがとう。友だちなんだけど面倒見てもらってる感がすごい。というか、私の友人はだいたい私の面倒を見てくれる人たちだ。

すごく綺麗な言い方をすると、私は人に面倒を見てもらう才能があるらしい。普通の言い方に直すと、私は人に面倒をかける人間。正確な言い方に直すと、私の細かい失態をなあなあにして赦してくれる人とじゃないと人間関係が維持できない人間。いや、人の面倒を見るのが好きな人を引き当てるのが得意な人間? ある種の人に、私を「当たりくじ」だと思い込ませることができる人間? 言えば言うほどドツボだな。

人は迷惑をかけ合って生きるものだと思っているけれど、こんなものなのかなあ。自分の行いを振り返ってみてもよくわからない。なんで友だちでいてくれるんだろう、とか考えるのは成人してからやめた。「蓼食う虫も好き好き」はマジックワードだ。

誰に対しても「面倒を見ている」と思ったことが一切ない。面倒を見てもらっている。常にそう。もうちょっと人の上に立ったり他人の責任を負ったりしたほうがいいんだろうか。よくわかんない。

社会人になって、研修のグループのリーダーを任された時は、「このグループが私のせいでダメになったらどうしよう」のプレッシャーで本当に泣いてた。誰か代わってくれってずっと思ってたし、言ってた。

そのうち「このメンバーそれぞれの性能を信じよう。それぞれのポテンシャル高そうだし私が不安に思う要素は一個もない、私がいなくても勝手にどうにかなるだろう。みんなが得意そうなことをそれぞれに割り振ってなんとかしてもらおう」に流れていって、なんとか気を落ち着かせた。実際何とかなったっぽいからよかったものの、本当に人の上に立つのは辛いと思った。あれは慣れの問題なんだろうか。そういえば、あの時もメンバーになっちゃった人たちにたくさん面倒を見てもらった気がする。あー申し訳ない気持ちになってきた。思い出すのやめよう。今でも付き合いのある人、いないし。

友人たちとの関係で、私はちゃんと面倒のバランス取れてるかな。ダメな時は自然に離れていくだろうからあんまり考えなくていいか。私はバランスを取ることが苦手なんだ。

うーん。でもちょっと考えちゃうのは人の常。

写真を撮らないということ

あまり写真を撮らなくなったのは、iPhoneの容量を圧迫しないためだと以前書いた。

でも、もう一つ理由がある。それは「私以外の人が撮っている(だろう)から」というもの。

撮影することには情報の記録というミッションも含まれている。同じ場面で同じものを見て(例えば「空に虹がかかっている」とか)、それを誰かが撮っていてくれるなら、ミッションは誰かの手によって済んでいるのだし、私が撮る必要はなかろうと判断する。

結果的に、私がカメラアプリを起動するのは、「私以外に撮影する人がいない」と状況的に判断できる時だけ、ということになる。一種の怠惰である。

 

そういうわけで、積極的に写真を撮らなくなって数年が経つ。

すると何が起こるかというと「素材」がなくなる。

本の表紙に写真を使おうと思って、PC(Personal Computerです、Political Correctnessではない)の中を漁ってみても何にも出てこない。

いや、正確に言えばいくつか出てくるのだが、それは私がカメラを起動した時の写真、つまり極めて小規模でパーソナルな空間や瞬間を収めたものばかりだ。作ろうとしている本自体が相当パーソナルなものなんだけど、それとこれとは違う。パーソナルのレベルが違う*1

どうしよう。写真を撮りに、山にでも行こうかな。しかし自然が嫌いだもんで花も草も虫も土も撮りたくない。ウワーン。やっぱり無機物で角があるものが好きだな。

うーん、慣れないこと考えるとウワーンてなるね。フリー素材を使うのは何故だか……今回ばかりは嫌。私のだもん(逃げ道を塞いでいくスタイル)。あっでも、いらすとやさんは好きだな。いらすとやさん、有りだな。かっこよく使えばVaporwaveっぽくなりそうなもんだけど。本の雰囲気と合うかな。

いっそ黒一色でいくか。タイトルを白でバリッと入れて。そしたらエヴァのサブタイトルの画面(?)みたいになっちゃうよ。なんてったって高校時代、ケータイの待ち受けがネルフのロゴだった人間だから。

よくわかんないので死ぬほど悩んでる。けれど、最終的には私の趣味で決める。

 

作業報告(?)

8/12深夜から実施しておりました、本の自主制作に関する事前調査を、本日で終了といたしました。二、三日もやればじゅうぶんかなって思って……。

回答いただきました皆様、時間と手間をかけてくださってありがとうございました。集まった回答を眺めていたら、おかげさまで、部数や価格等がおおむね定まりました。私の趣味でやってるだけなのに本当にありがとうございます。やっぱり人に聞いてみるものですね。

あとは表紙を作って中身をバシッとやって印刷所に頼んで刷ってもらってその他もろもろするだけなのですが、その「だけ」にたどり着くのにおそらく一ヶ月以上かかります。皆様が忘れかけた頃に、私が突然「できました〜」と叫ぶはずです。

とにもかくにも、アンケートにご協力いただきました皆様、ありがとうございました。

*1:本日のセルフ流行語大賞、たぶん「パーソナル」。