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他人の話

 「あんたはすごく漫画っぽい」と私に言った友人がいる。その時「お前にだけは言われたくねえよ」と思った。

 その友人は私が知る限り最も芝居がかった話し方をする人だった。これは掛け値無しの、冗談抜きの「最も」である。

 ただ、芝居がかっているとはいえ、ドラマっぽくも映画っぽくもなくて、だからと言って漫画っぽいかというとそうでもなくて、どちらかというと小説みたいな印象を受けた。初めて見た時から今まで、その印象は変わっていない。

 少しずつ関わるようになると、それなりに話もしてくれるし面白い人だった。でも、顔もスタイルも服も行動も何もかも、プロフィールではなく「設定」のように感じられた。いつ見ても均質なのだ。

 たぶん、本当に設定の中で暮らしているんだと思った。

  なんとなく仲良くなって(「なんとなく」以外に仲良くなる方法なんてあるんだろうか)、二人でどうでもよい話を延々とできるようになった。ファミレスやカラオケで夜通し話していた。

 お互いにお互いを「漫画っぽい」「芝居がかっている」と思っている者同士のどうでもよい話なんて、端から見ればさぞかし浮世離れしているように映るかもしれない。実際、そうだったと思う。この会話は私からすれば、だんだん友人の「設定」の周囲にあるさらに細かい設定が見えてくるようで、それこそ本を読んでいるように楽しかった。会話をしていても、相槌を打つだけの音ゲーにならない相手だった。設定の塊から出てくるものは、やはりすべて無駄のない設定だったので、適当に聞き流すと面白みが目減りしてしまう。

 あちらが私をどう設定していたのかはよくわからない。フィードバックを受けたことは何回かあるけれど、なんせ何を言っても本当かどうかわからないような人だった。嘘をつくこと、冗談を言うことに特化していた。そして何より、自分で作った枠から決してはみ出さないことを徹底していた。私とは真逆だ。

 真逆だけれど、互いに人生は同じくらいへにゃへにゃで、昨年会ったときは「これからどうするよ?」みたいな話をした。

 すると友人は、今まで聞いたこともなかった夢を真顔で語った。嘘か本当か、やはりわからなかった。それでも、本当かもしれないから、私は素直にわくわくして「いいじゃーん! 楽しみ!」みたいな果てしなくどうでもいいことを言った。本当の夢だったら、ここで変なことを言って潰したくないな、という気持ちもあった。

 その後、まったく連絡をとっていないので、今、双方なにをやっているのか知らない(はず)。

 急にその友人のことを思い出したのは、雰囲気が似ている芸能人がテレビに出ていたからだ。そういえば今なにやってんだろうなあ。いつ生きててもおかしくない私と真逆だから、いつ死んでてもおかしくないんだけど、できたらまたあのファミレスで話したい。

無害な見た目

 またインフォメーションセンターをやってしまった(訳:知らないおばあさんに電車の行き先を聞かれて案内してしまった)。

 ここまでくると自分の見た目が随分「無害」らしいことを自覚せざるを得ない。だって結構尖った服装してたのに、イヤホンまでしてたのに、これだもの。装備じゃ隠しきれない無害さが滲み出ちゃってるんだ。仕方ない。

 今まで私をインフォメーションセンターにした人達を全員並べて、一人一人に「なんでわざわざ私に訊いたんですか?」とインタビューしたい衝動に駆られる。たぶん「なんとなく」としか返ってこないんだろうけど、その「なんとなく」の理由が知りたい。

 まあいいや、一生本当のことはわからないんだから考えなくてよし。

 

 そんなことより、せっかく己の持っているものを自覚したので、積極的に利用していきたい(逆に「他人に利用される」ことが中心になりそうな特性だけど)。見た目が無害そうな感じだと何ができるだろうか。

 例えば、なんかの勧誘とか? 残念ながら、他人を何かの集団に引き込むことに興味がなくて気が進まないのだけど、できることとやりたいことは違うからどうしようもない。

 そこまで極端にならなくても、無害そうでいることを求められることなら、何もしなくても最初の関門を突破しているようなものだし、有利なのかな。

 有利だとしても、見た目が無害なわりに人に好かれないので、本当に全部噛み合ってなくて可笑しい。付き合いが長くなると内面や行動の問題が浮き彫りになるのだろう。 無害そうだけど死ぬほど頑固、感情の起伏が激しい、他人に興味なし、気が利かない。味噌汁にピクルスが入ってるみたい。こういうのを目の敵にする人って結構たくさんいるけど、そりゃそうだよなという感じになる。わかりやすいハズレくじだから。

 やっぱり見た目を内面に寄せたほうがいいのか。髪型をツーブロックにしてみるとか、口ピアスを開けるとか、変なシルエットの服ばかり着るとか、常に白目剥いてるとか。いや、違うな。もっとこう、嫌悪感をそそらないとだめだ。虫の死骸を背中につけたり、陰毛を袖につけたり、ガムを派手にくちゃくちゃいわせながら噛んだり……。

 

 混乱してきた。話の筋を戻さなきゃ。内面にボロがある人なりの、無害さの使い方を考えるんだ。

 ……思いつかない!!!!

 よくわからないけど、そんなもんがあるならきっと、今まで無意識に使ってきたんだろう。そういうことにしよう。放っておく。

 無害そうで得したこと、きっと今までたくさんあるはずだ。自覚がないだけで絶対ある。私の情報を一切持たない人と対峙した時に、なんらかのアドバンテージとして働いたこと、絶対ある。それだけで充分だ。あとはその人たち相手に、無駄に内面を主張しないことだけだね。この世は我慢大会なのか。

 ああ、どうしても私の生活は私の身体に引っ張られるんだな。見た目通りの無害な生活を送ることができているだろうか。

お菓子を配る人生

世の中にはいろんな人がいるなあ……と思う日々を過ごしています。

例えば、同じ空間にいる見知らぬ人にお菓子を配りまくる人。小さなポーチからいそいそとお菓子を出して、「どうぞ」と言って次々と渡すのです。なんとも親しみやすい笑顔と所作で。

有無を言わせずお菓子を受け取らせるその技術、どこで鍛えてきたのでしょう。もしこの人が少しでも「この人」じゃなかったら、私はお菓子を受け取れませんでした。なんらかの必然がそこにあります。

この人が何故こんなことをしているのか、少し考えてみました。慈善事業?徳を積んでる?買ったお菓子が余った?死んだ祖母の教え?願掛け?

手のひらに乗った一包のお菓子を眺めながら、何を考えたところでどうせ本当のことなんて私にはわからないのだ、とぼんやり思いました。

 

どんな人もそこにいて、それぞれに暮らしているというのだから驚きます。

考えたくもないことですけど、人生って何通りあるのでしょうか。一人につき1通りだとして、前世や来世もないものとして……あ、だめです、わかりません。そもそも正確な数がわかったところで、やっぱり何もわからないので、やめておきます。触れちゃいけない場所のような気もします。

今日は楽しかったのですが、身体が疲れました。布団に入って、一日中酷いことをさせられたこの足がじんじん痛むのを感じながら、寝ます。そういう人生もここにあります。考えたくもありませんね。おやすみなさい。

改行する気分

今日は

るんるんです☺️

 

るんるんなので、実験💡

 

好きなアイドル💖のブログを

毎日見てるんですけど、

 

「この改行がすごい! 2017」

 

って感じで😮

 

しかも💦

アメブロ特有の

改行を

 

すーーーーーーっごく‼️

使いこなしてる

 

んです❤️

 

それで、

 

「改行するって

どんな気分なんだろー?🙄」

 

って思って

やってみました

 

アメブロ特有の

改行⚡️⚡️

 

 

 それで、改行する気分ですが、これはアレですね、画面のデザインをしてるような気持ちですね。

 どこでどう開けるのか、どこを強調したいのか。それと、間の取り方、リズムの取り方みたいなことを意識しながら改行するんですね(たぶん)。ぶわーってキーボードで長文打つより楽しいかもしれません。なるほどなあ。

 

 改行する文化って、いつ頃からあったのでしょうね。ガラケー全盛期の頃に始まったような気がするのですが、いかんせん、その頃のガラケー文化に疎くて……。

 気づいたらみんなこんな感じになってました。完全に置いていかれました。でも、一回やってみたかったのです。

 一回やったらもういいかなって感じになったので、あれを毎日書いてる推し達、凄いなあと思いました。しかも写真までつけて、宣伝までつけて。有り難さの洪水ですよね。ありがてえ、ありがてえ。

 

 今日はるんるんです、って最初に書いたのですが、実際はそこまでるんるんでもなく、ただただ過ごしやすい一日でした。こんなにあっさり? と思うほどに。

 だんだん、過ごしやすくするために必要なものがわかってきて、でも「過ごしやすくするには、まだこれが必要なのか……」と思ったりもして、複雑です。

 殊勝なこと考えてて面白いですね。何の力でも借りたらいいじゃないの、変なの。あんまり詰めすぎないようにやっていきます。

 

 とりあえず、今夜は爪の形を整えて、色を塗ります。無心になるにはとても良い作業なのです。色は決めてあります。塗るぞ。

 没頭します。おやすみなさい。

海釣り

 海釣りをしたかったので、今から脳内で行ってきます。

 朝の10時くらいですかね。UVカットのパーカーの下に、テキトーなTシャツ、膝くらいの丈の涼しいキュロットスカートを着て、サンダルを履いています。なんとなく漁港を目指します。

 途中、コンビニでお昼ご飯のおにぎりを二つと、ペットボトルの麦茶を一本、あとは、飴だのガムだのチョコだの、適当な甘いものを買いました。そのあと、釣具屋さんに寄って餌を買います。難しいことがよくわからないので、撒き餌を買ったような気がします。

 なんとなく漁港に着きました。強烈な潮の匂いがします。この匂いだけでおにぎりが二個ぐらい食べられるなあといつも思います(だから今回もおにぎりを二個買ったのです。具は筋子です)。カラッと晴れています。だからといって、ジリジリと照りつけるような日差しでもなく、たまに雲が出たり引っ込んだりしています。日焼け止めを入念に塗ります。

 もろもろの準備をして、麦茶を一口飲んでから、釣りを始めます。最初の30分くらいは、なんとなく落ち着かなくて、あの、船をくくりつけるための、チンアナゴを潰したような形の柱に座ったり、足を掛けてみたり、そこらへんにしゃがんだりします。そうしていろいろな場所に釣り糸を垂らすのですが、そのうち飽きます。

 結局、適当にクーラーボックスを置いて、その上に座ります。今回は小さい針をたくさんつけて、回遊魚を適当に釣ろうという算段です。ただ、別に釣れなくてもよいのです。ぼーっとすることが目的なので、アジだのなんだのがビチビチ釣れても、申し訳ない感じがします。

 そうです、ぼーっとするために私は海に来たのです。周りには誰もいませんから、適当な歌を聞いたり、口ずさんだりしながら海を眺めます。

 海に浮かぶ光の網目、遠くの灯台のまわりに並んで止まっている海鳥、大きな雲、まばらな釣り人、防波堤にぶつかっては砕けていく波、淡々と、しかし勇ましく進んでいくいくつもの漁船を眺めるのです。はあ、と息を吐いたり、おぉーと声を漏らしたりします。思うままに。

 たまに、「海の男」のような雰囲気を醸し出した猫がやってきます。毛はボサボサで、顔や耳に引っかき傷があります。かっこいいね〜と言いながらニコニコして見つめます。猫が寄ってきたら、私もしゃがんで、そっと撫でます。ずっとここにいるの? ここで育ってるの? ご飯ちゃんと食べてる? 私がどんなに尋ねても、海の男のような猫は、ただ鳴くだけです。さっきのコンビニで餌を買ってくればよかったなあ。

 気が向いたら、撒き餌を威勢良く撒いて、結局なんとなく釣れちゃったり、やっぱり釣れなかったり、根がかりしたりを繰り返しながら、時が過ぎていきます。

 あっという間に12時になりました。クーラーボックスの中のおにぎりを取り出して食べます。磯の香りと混じって、なかなかの食べ物になりました。冷たい麦茶で流し込みます。あっという間に食べ終わってしまいましたが、ささやかな充足感があります。

 ここからは、いつ帰ろうかなあと考えながら惰性で釣り糸を垂らします。たまに飽きて、釣竿を置いて、近くをうろうろすると、フナムシがいたので逃げました。なんなんですかあの生き物は。見なかったことにして、でもちょっとまだ怖いので、釣竿をぎゅっと握ります。持ってきた飴を口の中で転がしながら、ふと顔を上げると、ああ、海だ、海だ。海だ海だ海だ、ああ海だなあ。と、ただそればかりを思いました。

 15時くらいになると、完璧に飽きたので、撤収です。あんまりお外にいると紫外線が怖いですし、日光は意外と体力を蝕むものですから。

 バケツの中を泳ぎ回っていた小魚たちを、一気に海に戻します。キャッチアンドリリースですが、この場合、倫理観や道徳のためではなく、単に私が調理したくないからです。

 ああ、ぼーっとできたなあ、これからも、たまにぼーっとしに来よう……。

 

 そんな風に思いながら、帰ってきました。現実に。ここはベッドの上、ずっと夜。以上です。おやすみなさい。


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ふわふわの人生に四角い生活

 最近けっこうまともっぽい生活をしているのに、どうしても地に足がつかない。ずっとふわふわしていて、今の現実が次の現実に接続する感覚が全くない。気を抜くと、そろそろベトナム料理が食べたいとか、薪を割りたいとか、そんなことばかり考えてしまう。

 ずっとぼんやり暮らしてきたから、いきなり四角くなった生活にまだ慣れない。この四角い生活がこのまま続いたらどうなるのか、想像できない。ずーーーっと伸びて、鉄の棒になる? どんどん大きくなって模造紙みたいになる? それとも、三角形になってしまう? 多角形になりつづけて、最終的にまたぼんやりと丸くなる?

 一ヶ月先、二ヶ月先、三ヶ月先の自分のことも、よくイメージできない。

 そんなこと言ったら、社会人になってからずっとこうだった。漠然とした夢はあっても、現実がぼんやりしている。ぼんやりしていても、生活を一つ一つこなさなければならない。だからどんどん夢は雲散霧消して、現実も意識を無くして、生活は回転寿司。こうやって人は何かを忘れて、あれも忘れて、どんどん落として落として球体になるのか。

 

 気づきました。今が「余生」であること、そして、余生を考えるということを忘れておりましたね。だからこんな瑣末なことをぐるぐる考えてしまうのです。人生はすでにふわふわです。

 余生には余生なりの過ごし方があります。それを考えなければなりませんね。

 そういえば、余生じゃない人生をやっていた頃に「余生に住みたい街ランキング」を作っていたことを忘れておりました。思い出したので、唐突に発表します。

1位 鎌倉

2位 江ノ島

3位 某県某市

 ‥‥もう、今すぐ神奈川県に移住したらぁ?????

 そんなに住みたいなら、もう今すぐ住めばぁ?

 余生でしょ????

という感じですね。一理ある。

 もう余生なのですから、今すぐ鎌倉や江ノ島、某県某市などに引っ越しちゃえばいいのでは。うわ、いいなそれ、いいかもしれない。だって鎌倉とか江ノ島に住めたら、わたし、最高になってしまいます……。

 某県某市も、それなりに栄えてるし、土地勘あるし、本当に素晴らしい気候で大好きで……。

 あれ? なんでそっちに引っ越すという考えが、今の今まで出てこなかったのでしょう。余生の自覚が足りませんでした。反省。

 今すぐ鎌倉や江ノ島や某県某市に引っ越したくなってきました。超暮らしたいです。なぜここは鎌倉でも江ノ島でも某県某市でもないんでしょうか。わけがわかりません。

 じゃあまずは引っ越し資金だね! あと何ヶ月かかるかわからんけど、四角い生活、頑張ろう。余生なりに。

 ああ、人生のふわふわが増してきました。うれしくなりました。

 春だ。

 ちょっとコンビニに行って帰ってくるだけでも、桜と出会ってしまう。よく見ると桜だけじゃない、花がめちゃくちゃに咲いている。どこの家にも必ずプランターがあって、花がパカっと咲いている。気が狂いそうになる。

 

 大きな花が怖い。赤、白、黄色、どの花見ても全力で私を威嚇している気がする。

 一番怖い花は胡蝶蘭だ。カマキリの顔がたくさん連なって私を見ているように感じる。ゾッとする。華やかな場所やお祝い事の場に必ずあるので、胡蝶蘭を見つけるとさりげなく距離を取り、目を逸らして早足でその場を離れる。

 何がそんなに怖いのか。単純に、虫に似ているものがたくさんあって、しかも大きくて、じっとこちらを見ているさまが怖いのだが、それだけではない。

 あの、ただ咲いているだけのエネルギーが怖い。明らかに銃口がこちらを向いているじゃないか。それにしても、一輪一輪が何の言葉も持たずにただ開いている、それだけで世界に放出されるおそろしいほどのエネルギー量は一体なんなのだろう。

 花は多くの人に愛でられる存在だから、私の一存で切り落としたり燃やしたりするわけにはいかない。そんなことをしようものなら、器物損壊で怒られてしまうかもしれないので、私にはどうしようもない。ただ見ないようにするしかない。昨今の猫ブームの中、猫が怖い人ってこんな気持ちなのかも、と思う。

 

 昔、「あなたには月や花を愛でる感性がある」と言われたことがある。

 その時は、どう受け止めていいか非常に悩んだ。相手は褒め言葉としてそれを言ったようなので、私は極めて曖昧にお礼を言った。月はともかく、花を愛でるなんてとんでもない。なんらかの表現としての「月や花を愛でる」だということはわかった上で、まっすぐに肯定できなかった。どうしても花がよくわからない。

 そういえば、私の悪夢には花が大量に出てくる。具体的には、体長20cm程のミツバチの頭部だけが幼稚園児の描いたような花になっていて、何十匹もふわふわと家中を飛んでいたりする。虫と花の合わせ技はまさしく「悪夢」といった風情だ。眠りの中でさえ、花はどうしても愛でられない。

 恐れることは愛でることと同じだろうか。一見似ているけれど、やっぱり違うと思う。

 

 まあ、花なんて怖がっても仕方ないか。よくよく考えたら、一年のうちで四月・五月・六月はいつも調子が悪いのだ(正確には、春から梅雨の終わりまで)。怖がるべきは花じゃなくて、この先三ヶ月くらいの自分の状態じゃないのか。勘弁してくれ。こういう時はやっぱり、平野ノラさんのことでも考えておこう。何故か落ち着くのだ。